鬼竜山雷八 (2代)とは? わかりやすく解説

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鬼竜山雷八 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/01 09:45 UTC 版)

鬼竜山 雷八 (2代)[1](きりゅうざん らいはち、1876年1月2日 - 1937年12月13日)は、現在の青森県三戸郡五戸町(旧倉石村)出身で粂川部屋友綱部屋二枚鑑札で再度粂川部屋に所属した力士。本名は古川 仁右衛門(石松から改名)。7代粂川。166cm、75kg。最高位は東前頭筆頭。得意手は右四つ、押し、足取り。

経歴

明治28年(1895年)1月幕下格で初土俵。四股名は師匠の6代粂川の鬼竜山雷八と同じ。明治31年(1898年)1月に師匠が没したため、友綱部屋に転籍する。明治32年(1899年)5月新入幕。明治34年(1901年)に二枚鑑札が認められたので、友綱部屋から独立して粂川部屋を再興する。明治43年(1910年)1月力士を引退、粂川親方として鏡岩善四郎大関に育てた。

昭和6年(1931年)6月、友綱部屋出身の二所ノ関(元関脇2代海山)が亡くなると、大関玉錦三右エ門以下二所ノ関部屋の力士たちを昭和9年(1934年)まで粂川部屋で預かった。玉錦は粂川部屋在籍時の昭和7年(1932年)5月場所に東大関で優勝、10月場所に第32代横綱に昇進(昭和に入って最初に誕生した横綱)している。のちの8代勝ノ浦鬼竜川光雄は縁戚。

成績

  • 通算成績:78勝111敗31休11分預 勝率.413
  • 幕内成績:62勝98敗31休9分預 勝率.388
  • 通算在位:24場所
  • 幕内在位:20場所

改名歴

  • 鬼竜山 雷八(きりゅうざん らいはち)1898年5月場所 - 1909年6月場所
  • 粂川 雷八(くめがわ らいはち)1910年1月場所

参考文献

脚注

  1. ^ 相撲史跡研究会『相撲の史跡 第2号』1978、pp.12-13 - 当書籍で2代としている。

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