玉川線廃止後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 23:31 UTC 版)
「東急デハ200形電車」の記事における「玉川線廃止後」の解説
併用軌道を敷設していた国道246号の道路交通量の増加と、首都高速道路3号線の建設に伴う用地提供の必要から、玉川線渋谷 - 二子玉川園間は廃止され、代替線を地下鉄方式で建設することとなり、この区間は1969年(昭和44年)5月に廃止された。 同区間の路線廃止後、本形式を含む世田谷線で使用しない車両は他形式と共にいったん旧・二子玉川園駅構内に集められ、しばらく留置の後、譲渡や保存の対象から外された車両は千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市)の埋立地に陸送した上で解体された。この際、トレーラーの荷台に積載するため、車体を横倒しにして運んだという。現地解体とならなかったのは、玉電との別れを惜しむ住民に対し、解体現場を見せない配慮であったといわれる。 保存車両として、デハ204号が多摩川園(現在は閉園)、田園都市線高津駅前広場、高津駅に存在した旧・電車とバスの博物館を経て、宮崎台駅に移転した電車とバスの博物館に展示されている。また、デハ206号も千葉県野田市の清水公園に保存されていたが、後に荒廃のため解体されている。
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