玉南電気鉄道1形電車とは? わかりやすく解説

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玉南電気鉄道1形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/19 14:19 UTC 版)

玉南電気鉄道1形電車(ぎょくなんでんきてつどう1がたでんしゃ)は、京王電鉄京王線府中 - 京王八王子間に相当する路線を運営していた玉南電気鉄道が開業時に新造した電動客車(電車)。

後年通称「中型車」と呼ばれた、京王線戦前形14m級車の形状、寸法の源流となった形式である。

概要

京王電気軌道(京王電軌)は新宿と八王子を結ぶことを目的として設立され、第一期区間を新宿 - 府中間と調布 - 京王多摩川間、第二期を府中 - 立川及び府中 - 日野 - 八王子間としていた[1]

1916年(大正5年)10月31日までに第一期区間としていた府中までを開業させるが、この時点で京王電軌は日露戦争後不況の影響による資金調達の困難、財政難その他の事情から森村財閥の融資系列に入って経営立て直しを図っていた[1]。そのためもう一つの経営の柱である電気供給事業の拡大に取り組む中で、自力では八王子に到達する資金の調達が出来ず、更に1915年(大正4年)6月24日に東京府に対し、府中 - 八王子間の工事施行認可申請延長申請を出したところ、資金不足で延期申請をしているようなので失効とすべきとの東京府の意見で、1916年5月1日に当該区間の路線免許が取り消されてしまった[1]

しかし府中までの開通と大正バブルの影響で経営の改善を見た京王電軌は、1920年頃には改めて八王子への路線延長を検討するようになった。自社で路線を延長しても、建設費の負担で数年は利益を得ることができない[1]との判断から、取り消された路線免許の計画ルートの復活ではなく、高幡不動などを経由するルートに変更して沿線の地元資本の出資を募り、併せて地方鉄道法に定められていた新線開業に伴う補助金を得ることを画策した[2]。こうして浅川南岸地域の商業資本家たちの支援を受けた京王は、1921年に株式の40%を自社で保有し、残りを主に沿線からの出資でまかなう形で玉南鉄道を設立し、府中 - 東八王子間16.3kmについて地方鉄道法に基づく1,067mm軌間[3]の路線免許を取得、同社によってこの路線の建設を実施することとした。

かくして約2年弱で工事を終えた玉南鉄道は、1925年1月9日に社名を玉南電気鉄道と変更し、3月24日に府中 - 東八王子間を開業させた。これに備え、6両の営業用電車が新造された。

デハ1 - 3・デハニ4 - 6
日本車輌製造東京支社製

さらに翌1926年3月に以下4両が増備されている。

デハ7 - 8・デハニ9 - 10
雨宮製作所

車体

車体長13,250mm、車体幅2,590mmの鉄骨木造車体を備える。見た目は日本車両製も雨宮製も同型だが、日本車両製の車両の台枠は、後述する連結器構造の違いから、雨宮製の車両の台枠よりも前頭部や台車間に補強の入った、やや古典的な構造になっている[4]

これらの寸法は地方鉄道建設規程に準拠したため、本形式設計当時、京王電軌の主力車であった23形と比較して一回り以上大きく設計されている。同時に2両連結した時に30メートル以内に収まる軌道法の制約も満たす[5]ため、これらの値は玉南電気鉄道の京王電軌への吸収合併後に同社で製造された各形式に、ほぼそのまま踏襲されている。

定員は電動客車は86人(座席50人)、手荷物合造電動客車は72人(座席42人)である。

側面窓配置はD(1)13331(1)D(D:客用扉、(1):戸袋窓、数字:窓数)、側窓は保護棒をその下部に取り付けた一段下降式で、妻面は強い曲面を描く3枚窓構成である。

鉄道車両設計の一大画期となった木造車から鋼製車への移行期に、それも路面電車から高速電車への過渡的形態として設計されたため、妻面窓下部に鋼板をリベットで打ち付けながら側面腰部は羽目板を並べ、床下にはトラス棒を装備、屋根は側面に明かり取り窓と水雷形通風器が交互に並ぶ二重屋根(レイルロード・ルーフあるいはダブルルーフとも)、それに床面の低いプラットホームからの乗降に対応した1段ステップ付き客用扉、とやや中途半端な印象を与える外観となっているのが特徴である。

なお、車体塗色は濃い目の茶色である。

主要機器

主電動機

イングリッシュ・エレクトリック (E.E.) 社が設計したDK-31[6]東洋電機製造ライセンス生産したもの[7]を各台車1基ずつ、吊り掛け式で搭載する。歯数比は64:20=3.20である[4]

制御器

ウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社製HL電空単位スイッチ式手動加速制御器を各車に搭載する。

制御段数は直列5段、並列4段で弱め界磁は搭載されていない。

なお、制御電源は架線からの600V電源をドロップ抵抗で降圧して使用する。このため本形式は電動発電機等の補助電源装置を搭載せず、前照灯や室内灯もドロップ抵抗の併用や回路を直列接続とするなどの処置により600V電源で動作するようになっている[4]

台車

鍛造軸ばね式台車のJ.G.ブリル社製Brill 77E1を装着する[4]。各台車の基礎ブレーキ装置は片押し式、電動機は内掛け式である。

ブレーキ

当初より連結運転を実施するため、ウェスティングハウス・エア・ブレーキ社製非常弁付き直通ブレーキ (SME) を搭載する[4]電動空気圧縮機 (CP) はWH社製DH-16を採用し、同ブレーキ装置に空気圧を供給する[4]

集電装置

1 - 6はばね上昇式のWH社製大型菱枠パンタグラフを、7 - 10は機関車用の空気圧上昇式菱枠パンタグラフである東洋電機製造TDK-Dを、それぞれ1基ずつ搭載する。

連結器

1 - 6は当初左右にバッファを備えた連環式連結器を装着したが、7 - 10は自動連結器を装着、1 - 6についても改軌改造以前の1926年4月認可で自動連結器へ交換した。

運用

当初投入された6両は暖房機が設置されておらず、1925年12月認可で暖房機を装備した[4]

前述の通り玉南電気鉄道は1,067mm軌間で建設されたため、1,372mm軌間の京王電軌と相互乗り入れが出来ず、新宿から府中以西へ向かう乗客は府中での乗り換えを強いられ、極めて不評だった[8]。しかも、肝心の補助金は玉南電気鉄道線が鉄道省中央本線の競合路線となることなどを理由に交付申請が却下され、京王電軌としては玉南電気鉄道を別会社とし続ける必要も、同社線を1,067mm軌間のままとする必要も、ともに失われてしまった。

このため京王電軌は新宿 - 八王子間の直通運転のため、1926年12月1日をもって玉南電気鉄道を吸収合併、本形式は京王電気軌道1形(2代)1 - 10となった。直通に際しての規格統一については、京王電軌は改軌はともかく、併用軌道などもある路線を地方鉄道法に適した設備に改良することが一朝一夕にできない、先に触れたように1形は軌道法の範囲で運用可能なサイズであったことから、玉南電鉄線を1,372mm軌間へ改軌することとし[9]1927年(昭和2年)6月1日に改軌工事を完了した。

改軌時に交換された雨宮製台車
若葉台に保存されているもの

この際、本形式については併用軌道区間の走行に備え、救助網と外付けステップの追加装備が実施され、台車は工事期間の短縮を図って1,372mm軌間に対応する新台車[10]を雨宮製作所で新造し、順次これと交換した[11]。京王電軌の側でも地上施設の改造による本形式の受け入れ対応工事が進められ、合併から1年半後の1928年(昭和3年)5月22日より新宿 - 東八王子間の直通運転が開始された。

その後、経年により木部を中心に老朽化が進んだため、1937年(昭和12年)9月14日認可で鋼板による前頭部全面及び車体側面の補強工事、手荷物室撤廃およびその他改造が日本鉄道自動車工業により行われた[5]。これにより定員は全車88人となった。

また、1940年には乗客増による混雑対策として車体中央部に客用扉を増設して3扉化が実施され、上記補強工事による柱を受けるような形で各扉周辺が鋼板張りに改造された[12]。また、併せて乗務員室奥行き確保のため、110形などに合わせた妻面の曲率をゆるく変更し、乗務員室脇に小窓が設置されている鋼製の前頭部を新造して取り付けた[5]。この段階での窓配置は1D(1)13D(1)31(1)D1で、中央扉は車体補修時の補強材との関係から、車体中央部からややずれて設置されていた。また乗客増で連結運転が常態化したことから、1943年(昭和18年)には非パンタグラフ側運転台の機器を撤去し、片運転台車となっている[12]

1944年5月31日の陸上交通事業調整法に基づく東京急行電鉄大東急)への合併後、本形式はデハ2000形(初代)2001 - 2010へ改番された[12]。ただし、実際は車体塗装もままならない時期だったため、車番書き換えまでは及ばない車両も存在した。

本形式は戦時中の空襲等による被災廃車が1両も発生しておらず、1948年6月1日の京王帝都電鉄としての分離独立時にも形式称号および車両番号はそのまま継承された。なお、同じ1948年には妻面中央窓下に取り付けていた前照灯を屋根上へ移設した。

1953年にはデハ2002・2007・2010が改造され、2700系サハ2751 - 2753となった。もっともこれは、更新名目の新製車に台車だけ引き継がれたものである。

1954年6月にはサハ代用となっていたデハ2008について運転台撤去・電装解除工事を行ってサハ2008としたものの、最終的に1954年11月18日付で残存全車が廃車となった[12]

この際、デハ2006が松本電気鉄道に譲渡され、台車を中古のDT10へ交換の上でデハ18とされ、1963年モハ1011として日車標準車体に更新されるまでそのまま使用された他、不要となった台枠と台車のうち2両分がレール運搬貨車チキ2970形となり、さらにデハ2003と2009の台枠が東横車輛工業に売却され、この台枠上に新造車体を構築したのが江ノ島電鉄300形305編成である。江ノ島電鉄では2025年現在も同編成を通常運用中である。また主電動機についてはデハ2125形2200形など2個モーター車の出力増強に使用された。

参考文献

公文書

  • 「鉄道省文書」国立公文書館所蔵
    • 第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・京王電気軌道(元玉南電気鉄道)・営業廃止・大正十二年〜大正十五年・免許書類焼失
    • 鉄道免許・京王電気軌道(東京急行電鉄)6・昭和2〜3年
    • 鉄道免許・東京急行電鉄(元京王電気軌道)10・昭和11〜13年
  • 「内務省文書」国立公文書館所蔵
    • 地方鉄道法、軌道法による許可、認可等・東京府・京王電軌13〜15・(昭2.6.6〜昭6.7.4)
  • 「東京府文書」東京都公文書館所蔵
    • 昭和16年地方鉄道 (324-E2-3)

書籍

雑誌

  • 合葉博治「車両形態の変遷 -京王線70年・井の頭線50年の流れをたどる-」『鉄道ピクトリアル』第422号、電気車研究会、1983年9月、77-81頁。 
  • 向山真司「京王線中型車の素顔」『鉄道ピクトリアル』第422号、電気車研究会、1983年9月、86-92頁。 
  • 永井信弘、合葉博治「イラストで見る京王電車:1950」『鉄道ピクトリアル』第578号、電気車研究会、1993年7月、151-157頁。 
  • 出崎宏「私鉄電車めぐり(149)京王帝都電鉄」『鉄道ピクトリアル』第578号、電気車研究会、1993年7月、223-242頁。 
  • 出崎宏「京王電鉄 過去の車両」『鉄道ピクトリアル』第734号、電気車研究会、2003年7月、174-186頁。 
  • 藤田吾郎「京王の貨車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』第734号、電気車研究会、2003年7月、187-194頁。 
  • 合葉清治「京王中型車の思い出」『鉄道ピクトリアル』第734号、電気車研究会、2003年7月、195-200頁。 
  • 飯島正資「私鉄車両めぐり 京王帝都電鉄(『鉄道ピクトリアル』第45号、第46号より再録)」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄 1950-60』、電気車研究会、2005年8月10日、44-55頁。 
  • 澤内一晃「玉南電気鉄道沿革史」『鉄道ピクトリアル』第1043号、電気車研究会、2025年10月、182-190頁。 

脚注

注釈

  1. ^ a b c d (澤内 2025, p. 183)
  2. ^ a b (澤内 2025, p. 184)
  3. ^ 当時の地方鉄道法では、京王電軌の採用した1,372mm軌間での建設が認められなかった[2]
  4. ^ a b c d e f g h (澤内 2025, p. 187)
  5. ^ a b c (澤内 2025, p. 188)
  6. ^ 端子電圧600V時1時間定格出力63.4kW/865rpm
  7. ^ 後年、京王ではこれをTDK-31N[4]と呼称した。
  8. ^ a b (澤内 2025, p. 185)
  9. ^ この過程で玉南電気鉄道は書類上鉄道としては廃止され、改めて軌道法で特許を受けている。日本の軌道法には鉄道からの転換を想定した条文が存在しないためで、これは2025年7月現在でも同様である[8]
  10. ^ 京王帝都電鉄時代の社内呼称はH-1あるいはA-1。板台枠リベット組み立ての釣り合い梁式台車である。
  11. ^ なお、従来のBrill 77Eはその後、トランサム等を拡幅して1,372mm軌間対応に改造してBrill 27E相当とした上で、京王電軌110形に転用された。
  12. ^ a b c d (澤内 2025, p. 189)




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