独立した飛行隊として発足とは? わかりやすく解説

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独立した飛行隊として発足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:44 UTC 版)

ブルーインパルス」の記事における「独立した飛行隊として発足」の解説

1989年平成元年)ごろから進められていた新しブルーインパルス準備にあたって関係者は「展示飛行専門とする独立した飛行隊」を設けることを考えた。 T-2の時代まで、ブルーインパルスパイロット教官兼務する形態で、パイロットの負担大きかった独立した飛行隊とすることによって、航空祭などのイベントがある週末忙しくなるものの、週明けには休暇取得可能となる。また、ブルーインパルスパイロットになることによって戦闘機パイロットとして生涯飛行時間を削ることになる という問題についても、任期3年約束し任期終了後はもとの部隊に戻る体制とすることによって、ブルーインパルス任務に対して士気保たれる。さらに、教官兼務ではブルーインパルスメンバー養成にも支障をきたすことがあり、これを解決するためにも独立した飛行隊にすることが必要と考えられた。 展示飛行専門飛行隊新規に創設することは容易ではなかった が、折りしも1990年代災害派遣国際貢献などで自衛隊活動する機会増加しており、自衛隊に対して国民からの理解深まっていた時期で、自衛隊広報活動に対して、より積極的になっていた。 こうした背景から、前述問題点解決して安全で効率良い運用を行うため、展示飛行専従部隊として独立することが認められた。1992年平成4年11月6日にはブルーインパルス塗装デザイン一般公募が行なわれ、2,135作品集まった。その中から、精神科医飛行機ファンでもある斎藤章二のデザイン案が採用された。また、展示飛行課目についてもT-4性能生かした内容検討された。 1994年平成6年10月1日には松島基地第4航空団に「臨時第11飛行隊」が編成された。翌1995年平成7年7月30日には研究飛行称するアクロバット飛行松島基地航空祭において一般公開され、T-2のブルーインパルス競演した。同年11月12日には百里基地一般公開された航空訓練展示でもT-2のブルーインパルス競演した。この時はブルーインパルス塗装F-86F展示された ため、3世代のブルーインパルス同時に展示されることになった同年12月22日第4航空団第21飛行隊内の戦技研究班解散する同時に、「臨時」のない第11飛行隊制式飛行隊として発足した。 こうして、1996年平成8年4月5日防衛大学校入学式で航過飛行フライバイ)による展示飛行同年5月5日岩国基地開催された「日米親善デー」ではアクロバット飛行による展示飛行皮切りに新しブルーインパルス活動開始されこの年度は22回の公式展示飛行が行なわれた。

※この「独立した飛行隊として発足」の解説は、「ブルーインパルス」の解説の一部です。
「独立した飛行隊として発足」を含む「ブルーインパルス」の記事については、「ブルーインパルス」の概要を参照ください。

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