狂犬病研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 19:35 UTC 版)
「アンナ・ウェッセルズ・ウィリアムズ」の記事における「狂犬病研究」の解説
1896年にパリのパスツール研究所におもむいたウィリアムズはジフテリアの場合と同じように、抗毒素の開発に使用できる猩紅熱の毒素を見つけようとしたものの成功にはいたらず、その代わり、当時、パリで進んでいた狂犬病研究に新たに関心を抱いた。ニューヨークにウイルスの培地を持ち帰るとワクチン開発に使用、少量の狂犬病ワクチンを生産することに成功する。初期の実証実験を経て、狂犬病ワクチンの生産はアメリカのワクチン研究の優先事項になる。1898年には大量生産に使える効果的なワクチンが開発された。 ウィリアムズはその後、診断という、狂犬病の治療におけるもうひとつの課題に注目する。この疾患は潜伏期間が非常に長いため、診断がつく頃にはワクチンの使用が手遅れという事態が頻発した。病気の進行前に診断できれば、患者の生存率が向上する。ウィリアムズは感染動物の脳を研究し、症状が現れる前に脳細胞がウイルスによって変化すると発見する。だが同じ発見をしたアデルチ・ネグリ(英語)というイタリア人医師が先に1904年に発表したので、異常な細胞は残念ながらネグリ小体と呼ばれることになった。 1905年、ウィリアムズはネグリ小体の検出に用いる脳組織の調製および染色に新しい方法を開発した。これにより検査結果を得る時間がそれまでの数日から数分に短縮される。旧来の方法を上回るその方法は以降30年にわたって狂犬病の標準的な診断手法として定着する。アメリカ公衆衛生協会は1907年に狂犬病診断の標準的手法に関する委員会を設立、その専門知識を認めてウィリアムズに委員長を委嘱する。
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