牧野文子
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牧野 文子(まきの ふみこ、1904年(明治37年)1月7日 - 1983年(昭和58年)6月8日)[1]は、日本の作家、詩人、翻訳家、イタリア文学者で、イタリア民謡「山の大尉」の歌詞も訳した。父は高級住宅街「苦楽園」を開発した実業家中村伊三郎。夫は「広辞苑」「少年少女ファーブル昆虫記」「生き物図鑑」などのイラスト画家牧野四子吉(よねきち)。
- ^ a b 20世紀日本人名事典. “牧野 文子” (日本語). コトバンク. 2020年7月10日閲覧。
- ^ 工藤茂 ある日の「山日記」から 牧野四子吉さん、文子さんのこと その2 ふたりの出会い、南天堂のこと
- ^ 本荘市ふるさと会会報- 本荘市(現由利本荘市)PDF
- ^ 産経新聞夕刊 2004年(平成16年)4月3日「図鑑の主役たち いきもの図鑑 牧野四子吉の世界」
- ^ 工藤茂 ある日の「山日記」から 牧野四子吉さん、文子さんのこと その4 東京、そして 山のこと
- ^ 産経新聞夕刊2008年1月31日「園の街景」苦楽園 天気良ければ生駒山まで
- ^ 【西宮】牧野文子さんのこと【西宮ブログ】
- ^ 日本工業新聞朝刊 1993年(平成5年)4月3日「孫文と祖父中村伊三郎 80年昔の写真が語るもの」
- ^ 工藤茂 ある日の「山日記」から 牧野四子吉さん、文子さんのこと その2 ふたりの出会い、南天堂のこと
- ^ 悲劇の生態学者 可児藤吉のプロフィール京都大学名誉教授森下正明研究記念財団 資料室
- ^ 本荘市ふるさと会会報- 本荘市(現由利本荘市)PDF
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