牧角鑑定・松倉鑑定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:33 UTC 版)
「別府3億円保険金殺人事件」の記事における「牧角鑑定・松倉鑑定」の解説
検察側は当初、起訴状に沿って、犯罪全体の順を追った立証を行う方針であった。しかし、弁護側は、公平で迅速な裁判をおこなうため実行行為に関する証人調べから行うべきと主張し、裁判所もこれに同意した。裁判で主要な争点となったのは、「転落時に運転していたのは荒木か妻か」、そして、「荒木が運転していたのを見たという鮮魚商や犯行計画を聞いたという元同房者の証言は信用できるか」であった。「事故」現場での現場検証、東京へ出張して横浜港での海中転落実験の鑑定書審理などを行った後、1976年(昭和51年)6月21日の第12回公判から九州大学教授の牧角三郎に対する証人尋問が行われた。 牧角教授は鑑定書と尋問で、乗員の負傷の大部分は着水時の衝撃で生じるとし、妻の下肢の傷と助手席前荷物棚下縁部にあるへこみが一致することから、妻は助手席に乗っていたと判断できると証言した。しかし、弁護人から、鑑定書に「荷物棚の縁には新しい変形部が二カ所認められる」とある点について、なぜ荷物棚のへこみが新しいもので海中転落時にできたものと分かるのか問われると返答に窮し、その他の点でも証言は二転三転した。牧角鑑定について、検察側は「死体の傷が、すべてを物語っており、目撃証言が加われば、荒木の犯行を疑う余地はない」と評価したが、弁護人は「乗車位置の鑑定は、法医学の領域を超えたもの」、「写真鑑定だけで傷の新旧は論じられない」などと評した。また、荒木は妻の両膝の傷は、関門海峡の火の山展望台にある急な階段で転んだ時のもので、事故の前にできたものだと主張し、牧角教授に対して「良心的な学者なら、こんな鑑定は、不可能とことわるべきだ」と批判した。 一方、7月19日の第14回公判で証言した兵庫医科大学教授の松倉豊治は、「妻の下肢の傷は荷物棚にあたってできたものであり転落時に妻は助手席にいた」とする鑑定結果こそ牧角鑑定と同じであったが、妻の傷は着水前に受傷したものと鑑定した。すなわち、離岸直前にハンドルを左に切ったために生じた遠心力による「前方向もしくは右前方向」の衝撃により生じたものであるとした。しかし、松倉教授は、後の第44回公判になって、突如、着水時の衝撃により生じたものと自らの証言を覆したが、同公判で弁護人から転落実験の結果からは着水時の衝撃はそれほど大きくないと指摘されると、車両が離岸する瞬間の減速衝撃によって受傷したとさらに証言を翻した。そして、検察官から妻の傷が着水以後の衝撃で生じた場合はどうなるのかと問われると、「前提が変わるのであるから、もう一度検討をやり直さなければならない」と答えた。
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