版本と伝播
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/16 00:41 UTC 版)
仁宗(4代、在位1022-1063)の時代に刊刻が始まった。宋は国内情報が国外の敵に流出するのを恐れて、『太平御覧』を含めた文献資料の海外持ち出しを禁じていた。 同盟国の高麗は宋を範にするために『太平御覧』を重視し、提供を繰り返し願い出ているが、その度に却下され続けた。徽宗の登輝の祝賀に際して派遣された高麗の官僚の努力で下賜がまとまり、高麗の実務行政の長と一行が訪問し携えて帰国し、1101年(粛宗6年)念願の『太平御覧』1000冊を入手することができた。 日本では、1174年(治承3年)2月、宋船が持ち込んだ宋版摺本の260冊を平清盛が即購入している。その後コピーの副本が作られ、12月16日、孫でもある東宮(2歳、後の安徳天皇)が清盛の自邸西八条第に訪れた際に、オリジナルが最高級の舶来品・唐物として献上された。うち3冊は、濃い蘇芳裏地の浮線綾柄の美麗な織物に銀の松枝と宝玉で飾った極めて豪華なものであったという。 版本としては、日本に伝来した1199年(慶元5年)の蜀刻本の残本945巻が知られる。これに基づき、別系統の宋本で補った『四部叢刊三編』(上海:商務印書館、1935年)所収の景宋本、および、その重印本(中華書局、1960年)が見られる。 中国では北宋刊本、南宋刊本とも早くに失われた。いっぽう日本には南宋刊本がいくつか伝存している。 静嘉堂文庫 - 南宋中期ごろ浙中刊本の残本の3セット。すべて同版で2つは旧蔵、1つは明治40年購入の陸心源蔵書に含まれていたもの。 宮内庁書陵部 - 金沢文庫伝来本。静嘉堂文庫と同版。 東福寺 - 静嘉堂文庫と同版の残本および南宋1199(慶元5)蜀(四川省)で印刷された完存本、国宝。 上海商務印書館は1935年(昭和10、民国25)、上記の日本の残本を合わせて復印し四部叢刊第三編に収録した。そのほか、明代の1574(万暦2)に常熟・周堂(江蘇省無錫付近)で銅活字本1000巻を刊行。また日本では1855-1862年(安政2ー文久2)に田口文之、喜多村直寛が木活字本を刊行した。
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