無敗の世界ヘビー級王者
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「ジェームス・J・ジェフリーズ」の記事における「無敗の世界ヘビー級王者」の解説
1899年11月3日、防衛戦で難敵トム・シャーキーと再戦。この試合は、映画公開を前提にムービーフィルムで撮影された。ボクシングのタイトルマッチが屋内で動画撮影されるのは史上初のことであった。ただそれ故に両者ともリング上方からの照明用アーク灯の苛烈な光熱に晒され、過酷な環境で戦うことを強いられた。 後にリングマガジン誌で「地獄の99分」と称されることになるこの試合は、前回の対戦をもしのぐ死闘となった。ジェフリーズは2回にシャーキーから2度ダウンを奪うが、とどめを刺すには至らず、逆に15回には顔面への強打を受け鼻と口から出血させられてしまう。20回、バッティングを受けたジェフリーズは額からも出血。しかし試合の主導権は既に彼のものであった。それまでジェフリーズの強烈な右ボディフックを受け続けたことで、シャーキーの左肋骨の数本が既に折れていたのである。23回、シャーキーはグロッキー状態にまで追い込まれるも、クリンチで危機を脱する。24回には折れた肋骨が皮膚を貫通せんばかりの事態になりながらも、シャーキーは左手で傷口を押さえながら右手のみで反撃を試みる。迎えた最終25回終了間際、シャーキーがクリンチした際にジェフリーズの左グローブが外れてしまうというアクシデントが起こった。レフェリーがグローブを戻そうとするも、残り15秒ということもありシャーキーは構わず攻め込む。ジェフリーズはベアナックルでの応戦を強いられたが、ほどなく試合終了。結局25回判定でジェフリーズの勝利となり、初防衛に成功した。試合後のシャーキーは肋骨骨折2箇所の上、鼻を砕かれ、耳はカリフラワーのように腫れ上がっていた。しかしこの総計45回の死闘を経て、両者の間には友情が生まれ親交を深めていくこととなった。 1900年4月6日、防衛戦でジョン・フィネガンと対戦し、初回55秒でのKO勝ちで2度目の防衛に成功した。この初回55秒という試合時間は、2005年にレイモン・ブリュースターが初回52秒でアンドリュー・ゴロタにTKO勝利をするまで、長らくヘビー級タイトルマッチ史上の最短記録であった。 1900年5月11日、防衛戦でジェームス・J・コーベットと対戦し、23回に左フックでKO勝ちを収め3度目の防衛に成功した。 1901年9月18日、ハンク・グリフィンを相手に、4回以内にKOできなければ100ドルを払うという変則マッチを行う。2回にカウント9のダウンを2度奪うなど圧倒するも、KOは果たせなかった。 1901年11月15日、防衛戦でガス・ルーリンと再戦し、5回TKO勝ちで4度目の防衛に成功した。 1902年7月25日、防衛戦でボブ・フィッシモンズと再戦し、8回KO勝ちで5度目の防衛に成功した。 1903年8月14日、防衛戦でジェームス・J・コーベットと対戦し、10回に2度のダウンを奪い棄権によるTKO勝ちを収め6度目の防衛に成功した。 1904年8月26日、防衛戦でジャック・ムンローと対戦し、2回TKO勝ちで7度目の防衛に成功した。この試合を最後に王座を返上し、無敗のまま引退。サンフェルナンドバレーで農園を開いた。
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