潜水艦輸送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 18:01 UTC 版)
安久がラバウルに進出したのは5月18日であったが、すでにガダルカナル撤退が行われ、ニューギニアの戦いも劣勢になっていた。3月にはビスマルク海海戦で輸送船団が壊滅。6月にはニュージョージア島の戦いが始まっている。潜水艦輸送は1942年11月24日に伊17(原田毫衛艦長)がガダルカナル島に11tを輸送したのを最初に開始されていたが、水上艦艇による輸送はさらに困難になっており、連合艦隊は引き続き輸送に潜水艦を使用した。 この頃、米軍はすでにレーダーを使用し始めており、潜水艦が補気や充電のために夜間浮上を行った場合、鍛えられた乗員の眼、高性能望遠鏡をもってしても対抗できなくなりつつあった。また潜水艦による輸送はその本来の攻撃力を発揮できないだけでなく、敷設機雷、哨戒艇や航空機の警戒のなか揚陸作業を行うため危険が多く、潜水艦乗員には好まれない任務であり、自嘲の意を込めて「丸通」と呼ばれた。しかし離島に孤立した友軍部隊を救うため、潜水艦乗員は死地へ向かった。この時期の潜水艦輸送指揮官は第一潜水戦隊司令官三戸寿、次いで第七潜水戦隊司令官原田覚である。 安久の伊38は南東方面潜水艦部隊に編入され、輸送作戦に抜群の実績を残し高い評価を受けた。作戦行動は次の通りで、爆撃2回、爆雷攻撃1回を受けながら糧食、弾薬など753tを輸送した。全てではないが運砲筒を使用している。輸送回数は23回であり、昭和18年に40隻の潜水艦をもって実施された潜水艦輸送227回の一割を占める。日本海軍が実施した全ての潜水艦輸送は、99隻335回、喪失潜水艦は18隻である。 伊38の輸送作戦 5月 23日 ラエ(ニューギニア島フォン湾) 29日 ラエ 6月 4日 ラエ 11日 サラモア 21日 ラエ 28日 ラエ 7月 19日 ラエ 26日 ラエ 8月 1日 ラエ 8日 ラエ 17日 コロンバンガラ(ニュージョージア諸島) 30日 ラエ 9月 12日 ブイン(ブーゲンビル島) 27日 スルミ (ニューブリテン島中部) 10月 5日 スルミ 17日 スルミ 25日 スルミ 31日 シオ(ニューギニア島東部) 11月 7日 シオ 19日 スルミ 25日 シオ 12月 9日 スルミ 22日 シオ
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