第五十一潜水隊司令
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1943年(昭和18年)8月20日、呂百型潜水艦6隻で第五十一潜水隊が新編され、9月1日に同隊司令に就任する。この艦級は小型の二等潜水艦で、防御的性格である。9月1日時点で第五十一潜水隊には呂100、呂101、呂103、呂104、呂105、呂106、呂108、呂109の8隻があり、各潜水艦長の階級は大尉、年齢は二十歳代で、経験は浅かった。呂101は9月15日に撃沈されている。加藤は整備中の呂104、呂108を除いた各艦を率いてラバウルに進出し、南東方面艦隊(草鹿任一司令長官)の指揮下で作戦行動に入る。直属上官は第七潜水戦隊司令官の大和田昇少将である。しかし1944年(昭和19年)2月17日のトラック島空襲により、日本海軍の一大根拠地であったトラック基地所在の艦船、航空機は壊滅的打撃を受け、第五一潜水隊は先遣部隊に編入された。呂106、呂108は甲潜水部隊に加わり、米機動部隊の迎撃に出撃し、呂104、呂105、呂106、呂109は潜水艦輸送に従事。作戦輸送は13回行われ、うち12回で成功を収める。呂104はいったん日本へ帰還し、呂117が編入された。
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