第五十一潜水隊
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第7潜水戦隊に所属していた呂100・呂101・呂104・呂105・呂106で編成。主にニューギニア方面の哨戒任務などに従事したが、あ号作戦のナ散開線で哨戒中に一挙に5隻を失う(ナ散開線の悲劇)など損耗が激しく、昭和19年8月15日に解隊された。 1943年(昭和18年)8月20日:呂100、呂101、呂104、呂105、呂106で編成。南東方面艦隊第7潜水戦隊。 1943年(昭和18年)9月1日:第51駆逐隊司令加藤良之助大佐。第7潜水戦隊より呂108、呂109を編入。 1943年(昭和18年)9月15日:サンクリストバル島南方沖で呂101戦没。12月1日除籍。 1943年(昭和18年)11月25日:ブイン付近で呂100戦没。2月5日除籍。 1944年(昭和19年)3月1日:第六艦隊に第7潜水戦隊ごと転属。 1944年(昭和19年)3月10日:第11潜水戦隊より呂115を編入。 1944年(昭和19年)3月25日:解隊した第30潜水隊より呂111、呂112、呂113、呂114を編入。 1944年(昭和19年)5月4日:第11潜水戦隊より呂116、呂117を編入。 1944年(昭和19年)5月22日:アドミラルティ諸島北方で呂106戦没。8月10日除籍。 1944年(昭和19年)5月23日:アドミラルティ諸島北方で呂104戦没。8月10日除籍。 1944年(昭和19年)5月24日:アドミラルティ諸島北方で呂116戦没。8月10日除籍。 1944年(昭和19年)5月26日:アドミラルティ諸島北方で呂108戦没。8月10日除籍。 1944年(昭和19年)5月31日:アドミラルティ諸島北方で呂105戦没(加藤司令戦死)。8月10日除籍。 1944年(昭和19年)6月9日:アドミラルティ諸島北方で呂111戦没8月10日除籍。 1944年(昭和19年)6月17日:サイパン近海で呂114、サイパン南東沖で呂117戦没。8月10日呂114、呂117除籍。 1944年(昭和19年)6月25日:第51潜水隊司令田上明次大佐。 1944年(昭和19年)8月15日:解隊。呂109、呂112は呉潜水戦隊に編入され、呂113、呂115は第8潜水戦隊付属となる。 (1944年(昭和19年)9月25日:呂109、呂112は第33潜水隊に転出。以降は第33潜水隊の項に譲る。) (1945年(昭和20年)2月1日:マニラ南西沖で呂115戦没。) (1945年(昭和20年)2月12日:ルソン海峡で呂113戦没。5月10日除籍。) (1945年(昭和20年)2月20日:呂115(書類上在籍)は第34潜水隊に転出。以降は第34潜水隊の項に譲る。)
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