伊16潜水艦長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 18:00 UTC 版)
1943年(昭和17年)12月18日、中村は「伊16」潜水艦長に補され、翌々年の2月15日まで指揮を執り、在任中に中佐へ進級する。「伊16」は、巡潜丙型のネームシップで、魚雷20本の攻撃力を有していたが、開戦以来甲標的搭載艦として使用されていた。中村が着任した時期は、ガダルカナルの戦いで日本は劣勢に追い込まれ、11月には「餓島」と呼ばれようになったガダルカナル島への潜水艦による物資輸送が開始されていた。なお同地にあった第二師団(丸山政男師団長)は、中村の郷土部隊である。「伊16」は1943年1月から潜水艦輸送に従事する。13日にガダルカナル島カミンボに到着したが航空機の制圧を受け、会同を図った大発は現れなかった。このため物資を詰めたドラム缶を浮揚して離脱している。次いで25日にガダルカナル島エスペランスに到達し、運貨筒を使用して物資18tの揚陸に成功した。「伊16」は輸送成功後に、ケ号作戦に策応するため甲潜水部隊への編入が予定されており、「伊16」はガダルカナル南方の甲散開線で配置に就く。2月3日には巡洋艦等の部隊を発見したが襲撃には至っていない。この間、橋本信太郎を指揮官とする駆逐艦部隊はガダルカナル撤退作戦を成功させた。「伊16」は戌潜水部隊に編入され、エスピリッサント付近で敵艦船攻撃を命令されたが会敵せず、トラックへの帰還は2月26日である。「伊16」は再び輸送に従って4月1日にラエに到達し、糧食約40tの揚陸に成功している。 しかしこの帰途でやはりラエへの輸送に従事していた「伊20」(工藤兼雄潜水艦長)と水中接触事故が起きた。「伊20」には異常がなく、3日にラエで物資を揚陸し、その帰途では安達二十三第十八軍軍司令官らを同乗させている。「伊16」の損傷は軽微であったが、日本へ帰還することとなった。所属は第一潜水戦隊第一潜水隊となるが、同隊は9月25日をもって解隊となり、第二潜水隊へ編入となる。9月、南方へ出撃した「伊16」は再び潜水艦輸送に従い、ラバウル、シオ(ニューブリテン島東部)間で6回の輸送に成功し、また第九艦隊司令部をウェワクに輸送している。こののち第一潜水戦隊は解隊となり、「伊16」は横須賀へ帰還。中村は離任した。
※この「伊16潜水艦長」の解説は、「中村省三」の解説の一部です。
「伊16潜水艦長」を含む「中村省三」の記事については、「中村省三」の概要を参照ください。
- 伊16潜水艦長のページへのリンク