伊13潜水艦長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 07:50 UTC 版)
同年9月、大橋は「伊13」艤装員長に補され、12月の竣工後に初代潜水艦長に就任する。この艦は水上16knotで21000カイリの航続力、水上攻撃機2機の搭載が可能な伊一三型潜水艦のネームシップで、常備排水量3603tの大型潜水艦であった。「伊13」は同型艦の「伊14」および「伊400」(日下敏夫潜水艦長)、「伊401」(南部伸清潜水艦長)の四艦で第一潜水隊を構成し、司令には有泉龍之助が就任した。 日本海軍最後の第一潜水隊は、その搭載する「晴嵐」10機をもってパナマ運河を特攻によって破壊することを目的としていた。神龍特別攻撃隊と名付けられたこの特別攻撃隊は、七尾湾での訓練を実施したが、「晴嵐」の故障多発、生産力の低下などで機数がそろわず、沖縄戦が開始されたことで戦機は失われた。攻撃目標はウルシー環礁に在泊する米海軍機動部隊に変更となり、「伊13」、「伊14」は「彩雲」を各2機ずつトラック諸島へ輸送しトラック、ウルシー方面の事前偵察に従事させる光作戦を課せられた。この偵察結果をもとに「伊400」、「伊401」の「晴嵐」6機が特攻攻撃を行う嵐作戦が予定されたのである。「伊13」にはその後香港からシンガポールへの「晴嵐」輸送任務が予定されていた。乗員家族にはこの出撃を承知している者もおり、乗員と家族の面会が許されている。 「伊13」は7月11日に大湊要港部を出撃する。しかしほどなく消息を絶ち、大橋以下140名は8月1日をもって戦死認定を受けた。この戦死者数は一潜水艦のものとしては日本海軍史上最多であり、新婚の先任将校夫人は自殺している。戦後の調査でも米軍の該当記録が見つからなかったが、この時期に米海軍機動部隊は北海道、東北地方方面を襲撃するため北上しており、「伊13」はこの機動部隊の艦載機、駆逐艦によって7月16日に撃沈されたとする指摘がある。しかし米軍記録による撃沈位置と「伊13」の予定航路は一致していない。
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