光作戦
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1945年5月28、29日に鎮海入港、燃料補給。7月4日彩雲2機を大湊にて搭載、同月11日大湊発トラック島へ向け出港。本来の晴嵐搭載の任務ではなく、トラックへの輸送作戦だった。出港後、マリアナ東方海面を南下して、7月20日頃トラック入港の予定だったが、8月1日までにトラックへ入港しないことから喪失と認定された。米側記録によると7月16日に米護衛空母「アンツィオ」(アンジオ)の艦載機および米ジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦「ローレンス・C・テイラー(英語版)」の攻撃により小笠原北東方の、北緯34度28分 東経150度55分 / 北緯34.467度 東経150.917度 / 34.467; 150.917(米軍記録より)の海中で撃沈された。艦長の大橋勝夫中佐以下140名全員が戦死認定。9月15日に除籍。
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光作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/24 22:02 UTC 版)
1945年5月に鎮海で燃料を搭載、同年7月11日に大湊を出港しトラック諸島へ偵察機(彩雲)2機を輸送する任務に就く。同年8月4日にトラック諸島に到着、その地で終戦を迎えた。戦果等は特になし。同年9月15日除籍。戦後はアメリカに回航されて試験や実験に用いられた後、1946年5月28日自沈させられた。現在ハワイ沖に沈んでいる。
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