伊26潜水艦長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 07:49 UTC 版)
9月、「伊26」潜水艦長となる。「伊26」は「サラトガ」雷撃、「ジュノー」撃沈などの戦果を挙げていた武勲艦である。同艦は第八潜水戦隊(市岡寿司令官])に編入となり、印度洋、アラビア海での交通破壊戦に従事する。日下は印度洋方面での作戦で10月28日に「ロバート・T・ホーク」(7176t)、12月31日に「トーンズ」(8054t)を各撃破、1944年(昭和19年)1月1日には「アルバート・ギャランチン」(7176t)を撃沈した。次いでアラビア海での作戦に移り、3月13日に「コリアー」(8298t)、3月21日に「グレナ」(8117t)を各撃沈、3月29日「リチャード・ホベイ」(7176t)撃破の戦果を挙げた。このほか印度国内に工作員を潜入させる作戦に従事している。この工作員は光機関が養成した印度人による印度独立、内部工作を目的としており、3回にわたって実施され、うち2回を日下の「伊26」が担当した。日下は印度の陸地近くに接近し工作員18名を潜入させている。第八潜水戦隊の先任参謀・井浦祥二郎は、成功の理由に日下の有能さも挙げている。 5月に呉に帰還した日下は、サイパン島への輸送を命じられた。マリアナ沖海戦によって空母戦力を喪失した日本海軍はマリアナ諸島の戦力増強を図り、「伊26」はサイパンに向かった。しかし航海途上で目的地はグアム島に変更され、7月9日に武器弾薬の輸送に成功する。この輸送作戦には4隻の潜水艦が従事したが、成功したのは日下の「伊26」のみである。「伊26」はさらにテニアン島からの搭乗員収容を命じられたが、同島はすでに連合国軍の重囲にあり、収容することはできなかった。日下はこのサイパン島陥落、テニアンも陥落寸前という時点での命令について海軍上層部を批判している。
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