伊53潜水艦長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 18:00 UTC 版)
1941年(昭和16年)1月、「伊53」潜水艦長に補される。「伊53」は海大3型aのネームシップで、魚雷16本の攻撃力を有したが、中村着任時には竣工後12年を経過していた老朽艦であった。「伊53」は同型艦の「伊54」、「伊55」とともに第四潜水戦隊(吉富説三司令官)に属する第一八潜水隊(貴島盛次司令)を構成した。中村の「伊53」は太平洋戦争開戦時はマレー半島東方の散開線配備に就き、英東洋艦隊の出撃に備える。マレー潜水艦部隊は機雷を敷設し、さらにその北方に三段の散開線を展開し、「伊53」の担当はその一段目東端であった。 散開線の2列目を担当した「伊65」は、プリンス・オブ・ウェールズ、レパルスを発見し、「伊58」は雷撃したが命中していない。南方部隊指揮官近藤信竹は12月26日にマレー作戦、蘭印作戦支援のため第二期作戦兵力部署を発令し、第一八潜水隊を含む第四潜水戦隊はマレー潜水部隊として連合国艦船の攻撃に向かった。「伊53」はシンガポール付近に配置され、12月29日にカムラン湾を出撃したが、故障のため引き返し、翌年1月6日に再出撃した。「伊53」はカリマタ海峡などで索敵したが、戦果はなかった。マレー潜水部隊指揮官でもある吉富少将は、第38師団(佐野忠義師団長)が実施するパレンバン、バンカ島攻略を目的としたL作戦に協力するため、「伊53」および「呂33」にスンダ海峡北に散開線配備を命じたが、両艦とも会敵していない。2月7日、第16軍(今村均軍司令官)が実施するジャワ島攻略に協力するため、第四潜水戦隊と第六潜水戦隊(河野千万城司令官)をもって甲潜水部隊が編成された。「伊53」もこの部隊に属し、同日にカムラン湾を出撃した。アナンバスで待機したのち、チラチャップ沖に進出するが、途中で駆逐艦から攻撃を受けている。「伊53」は2月27日に蘭船を、翌日には英船、蘭船各1隻、計3隻11,002tを撃沈した。第一八潜水隊は、これまで戦果に恵まれなかったが、この作戦行動で「伊54」が1隻8,806t、「伊55」は2隻6,456tを撃沈した。第四潜水戦隊は3月をもって解隊となり、第一八潜水隊は日本へ帰還。「伊53」は練習潜水艦となり、中村は5月24日をもって離任した。
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