伊400潜水艦長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 07:49 UTC 版)
日下は8月に退艦し、「伊400」潜水艦艤装員長に補される。「伊400」は常備排水量5223tという軽巡洋艦並みの巨艦で、燃料補給をせずに日本から世界中のあらゆる地点まで往復可能な航続力、また水上攻撃機「晴嵐」を3機搭載し航空偵察能力を有していた。この艦の建造を巡っては紆余曲折があったが、同型艦「伊401」(南部伸清艦長)のほか「伊13」、「伊14」と第一潜水隊を構成し、有泉龍之助司令のもとで訓練が実施された。第一潜水隊は晴嵐10機をもってパナマ運河を特攻によって破壊することを目的としていたが、沖縄戦がはじまり攻撃目標はウルシー環礁に在泊する機動部隊に変更となった。この作戦の実施予定日は1945年(昭和20年)8月17日、作戦名は嵐作戦、作戦部隊は潜水艦部隊、航空部隊を総称して神龍特別攻撃隊と名付けられた。日下は7月23日に大湊を出撃し、ウルシー環礁へ向かった。 この作戦行動では「伊13」は出撃早々に消息を絶ち、新婚の先任将校夫人は自殺している。「伊400」は8月14日にウルシー環礁付近に到達し、「伊401」との会同を図っている最中に、日本のポツダム宣言受諾を意味する電報を受け取った。日下は水雷長の進言を容れて部下に戦争終結を知らせている。「伊400」乗員は特攻を前に日本の敗戦という現実に直面したが、その後の行動は冷静なものであった。日下は無線封鎖を実施して、迂回航路をとって帰還の途についた。この航路は攻撃される可能性も考慮した日下の選択であった。米海軍部隊に拿捕され軍艦旗が星条旗に代わる際の日下は涙をこらえていたという。
※この「伊400潜水艦長」の解説は、「日下敏夫」の解説の一部です。
「伊400潜水艦長」を含む「日下敏夫」の記事については、「日下敏夫」の概要を参照ください。
- 伊400潜水艦長のページへのリンク