伊63との衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/01 01:43 UTC 版)
伊60は、1937年前期の演習に参加するため、2月2日豊後水道沖の配備地点に向かうため航進中、僚艦伊63が自艦の配備地点にいるのに気付かず、しかも伊63は艦首灯と艦尾灯をつけていたのにも関わらず、小型船2隻の灯火と誤認し、200メートルに近付くまで前方の船が潜水艦であることに気付かなかった。そして、伊63の右舷補機室に直角に衝突した。伊63は瞬時に沈没し、艦橋にいた艦長を除く先任将校以下81名が殉職した。事故の直接の原因は伊63が、配備地点を間違えたことにあった。 1937年支那事変(日中戦争)が勃発したため、第28潜水隊は中国に派遣された。中国は旧式巡洋艦を持ってはいたが、真の目的はそうではなかった。ほとんどの艦種が派遣されていたため、潜水艦も一応参加させなければ、士気に影響すると思われたからである。 1938年6月1日、艦型名を伊五十三型に改正。 そして、ついに太平洋戦争(大東亜戦争)が始まったため伊60は、初期作戦であるマレーシア半島上陸作戦を支援した後、1942年フィリピンのミンダナオ島にある、ダバオに到着した。1月から始まる予定のインド洋通商破壊戦に参加するためであった。燃料補給後、1月9日に出撃した。
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