湖西線開業と総特急化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 23:23 UTC 版)
「サンダーバード (列車)」の記事における「湖西線開業と総特急化」の解説
1975年3月10日現在の編成図雷鳥 ← 大阪 金沢・富山 → 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 指 指 指 G G 食 指 指 自 自 自 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 指 指 指 G G 食 指 指 指 自 自 自 凡例 G=グリーン車座席指定席 食=食堂車 指=普通車座席指定席 自=普通車自由席 1975年(昭和50年)3月10日:ダイヤ改正に伴い、以下のように変更される。大阪駅発着の優等列車は「ゆのくに」・「越後」・「きたぐに」をのぞいて米原駅経由から湖西線経由に変更。 大阪駅発着の優等列車のほとんどが湖西線経由に変更されたため、米原駅 - 金沢駅・富山駅間で「加越」が運転開始。 「立山」「ゆのくに」の1往復が「雷鳥」に統合され、「雷鳥は」12往復になり、エル特急に指定される。 「ゆのくに」の七尾線発着の1往復が「越後」に併結。 1978年(昭和53年)10月2日:「ゴーサントオ」と称されるダイヤ改正に伴い以下のように変更する。大阪駅発着の「北越」2往復が「雷鳥」に統合され、「雷鳥」は16往復になる。 「雷鳥」の4往復に583系の運用開始。また、「雷鳥」の583系運用列車と485系クハ481形200・300番台先頭の車両にイラストマークを使用開始。ただし当時「雷鳥」で使用されている485系先頭車は向日町運転所所属編成は初期のボンネット型車両が多く、485系でイラストマークが見られる機会は少なかった。その後1982年頃からボンネット形車両にもイラストマークが用意されるが、向日町と金沢とで色調が異なっていた。 七尾線乗り入れの「ゆのくに」と「越後」が廃止。これにより、「ゆのくに」は大阪駅 - 金沢駅間の1往復になる。 1981年(昭和56年)3月20日 - 9月15日:富山駅 - 神戸駅間で神戸ポートアイランド博覧会観客輸送用に臨時特急「ポートピア」が運転される。 1982年(昭和57年)11月15日:上越新幹線開業に伴うダイヤ改正により、次のように変更(1982年11月15日国鉄ダイヤ改正)。「立山」の2往復が「雷鳥」に編入され、「雷鳥」は18往復になる。これまで「立山」1往復が停車していた安曇川駅は通過。 「ゆのくに」が廃止。「立山」は夜行急行として臨時列車化。大阪駅発着の北陸本線方面の昼行急行列車が廃止される。 1985年(昭和60年)1月:「雷鳥」の食堂車の連結が中止。 3月14日:ダイヤ改正により次のように変更。「雷鳥」に食堂車を改造した4人用座敷風グリーン個室「和風車だんらん」を一部列車に連結。 583系が定期運用から撤退。 「立山」が廃止。 1986年(昭和61年)11月1日:「雷鳥」が1往復増発されて、19往復になる。「雷鳥」26号は大阪駅 → 神戸駅間が不定期列車として設定される。 12月27日:「雷鳥」9号・28号の大阪駅 - 金沢駅間で、大阪駅 - 和倉温泉駅間の臨時特急「ゆぅトピア和倉」と併結運転開始。なお当時の七尾線は非電化であったためキハ65形気動車によるジョイフルトレイン「ゆぅトピア」を用い、大阪駅 - 金沢駅間では「雷鳥」に無動力で牽引される形態をとった。車両の送り込みのために臨時特急「ゆぅトピアライナー」も大阪駅 - 金沢駅間で運転された。
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