湖畔の施設見所とは? わかりやすく解説

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湖畔の施設・見所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/04 21:36 UTC 版)

倉橋ため池」の記事における「湖畔の施設・見所」の解説

北東畔には、倉橋防災ダムがある。元々は1956年昭和31年)に造営され堤高31m・堤長245mのアースダムだったが、1987年から2000年にかけて嵩上げ工事排水路工事がなされ、堤高36.5m・堤長250mとなった。それに合わせて、総貯水量も1714000トンから190トンとなった倉橋防災ダム近くには、崇峻天皇葬られているとされる赤坂天王山古墳がある。 南側には「倉橋ため池ふれあい公園」という市営公園2005年整備されており、溜池望める浮見堂や親水設備芝生広場などがある。ため池を1周できる散策路整備され桜の名所にもなっている。この公園には、駐車場トイレ整備されており、園内には「倉橋の 山を高みよごもり出で来月の 光り乏(とも)しき」(『万葉集』巻3-290)の歌碑建立されている。公園敷地内には梶山古墳群がある。同古墳群はもともと43確認されていたが、倉橋ため池造成のために多く損壊ないし水没し雑木林中に6-7基が残るのみとなっている。1946年末永雅雄によって1号墳から4号墳までが調査されたが、これら4つ水没している。 西側には、エンドウ山古墳がある。標高160m前後尾根上にある円墳で、規模直径10m・高さ2.5m程度である。南側開口する石室があり、花崗岩切石両袖横穴式石室で、全長は4.7mで羨道部の長さは1.8m、幅1.1m、高さ1.2m、玄室部は長さ2.72m、幅約1.6m、高さ約1.75mである。石室の構造特徴より7世紀後半頃の古墳考えられている。 南西畔には、1994年平成6年)に当時長谷川明市長大型公園用地として4億円以上を投じて先行取得した土地があったが、この計画頓挫しその後簡易保養施設誘致しようとしたがこれも失敗終わった以後桜井市土地開発公社保有する塩漬け遊休地となっていた。この土地は、31430平方メートルあり、2009年に「大和さくらい」が2億円で購入して2010年平成22年)に「卑弥呼の庄」という農業公園テーマパーク開設したが、土地代金に伴うトラブル経営不振により2012年平成24年)に閉鎖され2018年平成30年)からは老人福祉施設となっている。 詳細は「卑弥呼の庄」を参照

※この「湖畔の施設・見所」の解説は、「倉橋ため池」の解説の一部です。
「湖畔の施設・見所」を含む「倉橋ため池」の記事については、「倉橋ため池」の概要を参照ください。

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