涪陵
涪陵
もともと秦と楚の国境地帯にあたり、秦の将軍司馬錯が黔中郡とし、漢の時代になると都尉を配置して守らせていた。山は険しく川も急である。山では大亀を捕ることができ、甲羅で占卜をすることができる。人柄は愚直で勇気があり、学問をする者は少ない。獽族・蜑族の民が多く住む。県では彼らにおもねり、訴訟になると必ず死人が出る。蚕を育てることはせず、茶・丹・漆・蜂蜜・蝋を産出する。漢のとき赤甲軍はいつも彼らを兵として徴用し、諸葛亮も彼らから三千人を選抜して連弩士とし、彼らの家族ごと漢中に移した。豪族に徐巨という者があったが、延煕十三年(二五〇)に叛乱を起こして車騎将軍鄧芝に鎮圧された。そのほか徐・藺・謝・范氏がいたが、五千家を蜀に移住させて猟射官とした。体の弱い者は督将の韓某・蔣某らに預けて助郡軍としたが、督将らは彼らを私有して土地の豪族になった。晋の時代になると、連弩士らは馮翊郡蓮勺に移されたが、彼らの性質は剛直であったので生活習慣を変えなかった。 |
涪陵区
(涪陵 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/15 03:37 UTC 版)
中華人民共和国 重慶直轄市 涪陵区 | |
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簡体字 | 涪陵 |
繁体字 | 涪陵 |
拼音 | Fúlíng |
カタカナ転写 | フーリン |
国家 | ![]() |
直轄市 | 重慶 |
行政級別 | 市轄区 |
建置 | 紀元前277年 |
改制 | 1998年 |
面積 | |
総面積 | 2,946 km² |
人口 | |
総人口(2004) | 169.7 万人 |
市区人口(2004) | 54.5 万人 |
経済 | |
電話番号 | 023 |
郵便番号 | 408000 |
行政区画代碼 | 500102 |
公式ウェブサイト: http://fl.cq.gov.cn/ |
涪陵区(ふりょうく[1])は中華人民共和国重慶市に位置する市轄区。ザーサイの名産地として知られる。また、鎌倉市にある臨済宗の本山、建長寺である蘭渓道隆の故郷でもある。
地理
長江の支流・烏江が南から流れ、長江に合流する地点にある。域内には低い山が広がる。重慶市の中で3番目の広さを持っている。
歴史
区名は区内を流れる烏江の旧称である涪水と、巴国陵墓の所在地であることから命名された。
周代は巴国の版図であり、戦国時代中期より楚の領土、後に秦が楚を征服すると巴郡を設置された。前277年、枳県が設置され、347年(永和3年)に東晋により涪陵郡が設置された。西魏には合州、隋代には涪州が設置された。元代以降は重慶府涪州として清末まで沿襲された。中華民国が成立すると涪陵県は当初東川道の管轄とされたが、1928年に四川省に改編された。
中華人民共和国が成立すると1950年1月に川東行署涪陵専区が設置され、1968年に涪陵地区と改称、1995年に地区級の涪陵市に改編され、更に1998年6月に重慶市管轄の涪陵区となり現在に至る。
行政区画
下部に9街道、16鎮、2郷を管轄する。
- 街道
- 敦仁街道、崇義街道、茘枝街道、江北街道、江東街道、李渡街道、竜橋街道、白濤街道、馬鞍街道
- 鎮
- 南沱鎮、青羊鎮、百勝鎮、珍渓鎮、清渓鎮、焦石鎮、馬武鎮、竜潭鎮、藺市鎮、新妙鎮、石沱鎮、義和鎮、同楽鎮、大順鎮、増福鎮、羅雲鎮
- 郷
- 大木郷、武陵山郷

交通
鉄道
- 渝利線
- 涪陵北駅
- 渝懐線
- 涪陵駅
道路
健康・医療・衛生
- 重慶市涪陵中心医院
- 涪陵区中医院
- 涪陵協和医院
脚注
関連項目
- >> 「涪陵」を含む用語の索引
- 涪陵のページへのリンク