海外での挑戦
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2007年1月30日の防衛戦で、ヒース・ステントンに12回判定負けし、王座から陥落した。この結果JBCは2月5日に引退勧告及びライセンスの停止を行った。西澤は国外での現役を希望し、3月10日からオーストラリアクイーンズランド州にライセンス試験の受験のために渡航した。 同年7月20日にオーストラリアニューサウスウェールズ州ニューカッスルにて、再起戦となるWBFアジア太平洋ライトヘビー級王座決定戦に出場。ゲンスイット・トーシラチャイ(タイ)と対戦し、7回2分1秒KO勝ちを収め王座を獲得した。同州ではタイトル戦に限定し年齢制限がないためにライセンスが発行された。なお両者共に、WBFのアジア太平洋ランキングの10位以内には入っていなかった。 同年12月7日、オーストラリアニューサウスウェールズ州ワイオングにて、WBF世界ライトヘビー級王座決定戦に出場。西澤はWBF同級15位で、対戦相手のソニー・アンジェロはWBFミドル級15位と、別階級の15位同士が対戦するという異例の王座決定戦となったこの試合、西澤が偶然のバッティングで左側頭部から出血し、3R負傷引分扱いでタイトル奪取ならず。 2008年9月12日、タイのアユタヤでABCOクルーザー級王座決定戦に出場の予定であったが、タイの政情不安により中止となった。 2008年11月2日、韓国京畿道龍仁市にて韓国KBAヘビー級王者でPABAクルーザー級7位金在参とKBA(韓国ボクシング協会)主催の「アジア最強決定戦」を行い、3回1分22秒KO勝ちを収め、KBAアジア最強王座を獲得した。 2009年7月18日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州ワイオングでいずれも空位のWBOオリエンタルクルーザー級王座とUBC世界同級王座をジョニー・ウォーカー(オーストラリア)と決定戦で争い、0-3の判定負けを喫した。 2010年4月24日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州ワイオングで行われたWBF世界ライトヘビー級王座決定戦並びにWBOアジア太平洋ライトヘビー級暫定王座決定戦でジョエル・ケーシー(オーストラリア)と対戦し、8回2分8秒KO負けを喫しWBF王座とWBOアジア太平洋暫定王座の獲得に失敗した。 2010年7月31日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州ワイオングでWPBF世界クルーザー級王座決定戦に出場。ピーター・ブレナン(オーストラリア)に3-0の判定で敗れ、44歳での挑戦はまたしても実らなかった。 2011年12月2日、オーストラリア、シドニーで行われたWBFイギリス連邦クルーザー級王座決定戦、UBC世界クルーザー級王座決定戦並びにWPBF世界クルーザー級王座決定戦でチョクチャナ・シスクルポン(タイ)と対戦し、5回35秒KO勝ちをおさめ、45歳で念願の世界王者となった。
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