法曹から政治家へ転身とは? わかりやすく解説

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法曹から政治家へ転身

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 06:32 UTC 版)

中井一夫」の記事における「法曹から政治家へ転身」の解説

1919年神戸地方裁判所配属中に聞いた犬養毅演説感銘を受け、強く政治家を志すようになった1920年中井衆議院議員砂田重政勧め司法官辞めて弁護士となり、砂田共同法律事務所運営した1923年9月中井兵庫県議会議員選挙葺合区選挙区)に革新倶楽部候補として立候補し当選。翌1924年県議会市部会(当時兵庫県議会市部会、郡部会、連帯部会3部制をとっていた)副議長選出された。1925年立憲政友会への合流図った犬養毅従い立憲政友会移籍1928年第16回衆議院議員総選挙兵庫県第1区から立憲政友会候補として立候補し当選。しかし派閥領袖幅を利かせ言いたいことを思うよう言えない国会あり方違和感覚え弁護士として野に戻るほうがよいと判断1930年行われた第17回衆議院議員総選挙への立候補辞退した中井後継候補として勝田銀次郎推した1932年第18回衆議院議員総選挙では今度勝田立候補辞退したため再び立候補以降終戦まで衆議院議員務めた1936年には衆議院石油委員会液体燃料委員会委員務めた中井はその関係から石油のほぼ100%輸入に頼る日本アメリカ・イギリス戦争をしても勝てないという持論をしばしば展開し発言記録警察の手渡って特別高等警察から警告受けたこともあったと述べている。 1939年政友会分裂に際して久原房之助鳩山一郎とともに正統派所属した政党解消後は翼賛議員同盟所属し1942年第21回衆議院議員総選挙では翼賛政治体制協議会推薦候補として立候補し当選している。その後翼賛政治会大日本政治会所属した1940年衆議院議員斎藤隆夫反軍演説行ったとして除名された際の懲罰委員長務めた中井曰く懲罰委員会開催決めた小山松寿衆議院議長を「演説のどの部分の、どういう点が懲罰事犯値するというのか」と問い質すなど、斎藤寄り立場をとった。中井によると戦後、これらのことが作用して戦後第一次公職追放解除1950年10月)の対象選ばれた。中井は、斎藤自発的に議員辞職すべきかと相談されたことがあり、「断じて辞職していけません代議士として殺されても、言論の自由を守るべきです。辞めることは自分非を認めることになる。男らしく堂々と除名処分を受けなさい」と助言したとも述べている。

※この「法曹から政治家へ転身」の解説は、「中井一夫」の解説の一部です。
「法曹から政治家へ転身」を含む「中井一夫」の記事については、「中井一夫」の概要を参照ください。

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