沖縄人による奄美人差別
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/27 00:38 UTC 版)
「沖縄の奄美差別」の記事における「沖縄人による奄美人差別」の解説
沖縄における奄美差別の背景には前述のような米軍統治があったが、そのような事情の中で沖縄人による奄美人への差別も存在した。 沖縄の新聞社は奄美の本土復帰前から、犯罪が発生した際にはその犯人が奄美人の場合は食い逃げであってもここぞとばかりに書き立てた。また、奄美の本土復帰直後に琉球銀行総裁の畑嶺里が鹿児島出張中に突然解任された件について、沖縄タイムスは1953年12月30日の社説で外国人である奄美人に重要公務を一日たりとも携わらせるわけにはいかない姿勢の琉球列島米国民政府について「吾々には直に真似ることはできないにしても」と付言した上で、「公私を微塵も微塵も混こうとしない態度は或る程度学んでよいのではないか」と琉球列島米国民政府の立場に立った論評をして奄美人への公職追放を正当化した。米軍施政下の沖縄の歴史を取材をしていた作家の佐野眞一はこのことについて著書で「琉球列島米国民政府の恐怖政治下にあって、大っぴらに異議をとなることはできないにしても」と配慮を示しつつも、「これほどお上べったりの論調はとても新聞人の態度とは思えない」と沖縄タイムスに批判的な言葉を書いている。 また「沖縄奄美連合会」の会員であった恵忠久は奄美人の琉球電電公社総裁の話として「琉球電電公社では琉球列島米国民政府から沖縄人をどんどん採用城というけれど、入社試験をやったら成績の1番から70番まで殆ど奄美人だったので、本来なら奄美人を採用せざるを得なかったが、琉球列島米国民政府からの布告で、琉球電電公社に奄美人の採用禁止の通達があり、部長職以上は全部免職となった」とし、また琉球列島米国民政府と親しい人の話として「琉球列島米国民政府の布告ではあるが、布告を出させたのは沖縄人の陳情であった」と述べ、琉球電電公社の部長職以上の奄美人の免職に沖縄人が加担したとしている。 奄美の本土復帰前も本土復帰後も、奄美人は沖縄人地主から賃貸住宅を借りるのを拒否された事例もあった。 奄美人の男は日雇い人夫に、奄美人の女は売春婦や接客婦といった胸の張れない職業にしか就くことが出来なかった。 奄美人に対しては「大島ドッコイ」「オーシマー小(グヮー)」と蔑まれて差別された。奄美人の女性は売春婦の女性だという偏見もあったことから「大島パンパン」という言葉があった。 このような偏見もあり、奄美人の女性は沖縄人と結婚するときにみんな奄美出身であることを隠していたという。 奄美の本土復帰後に、琉球政府のある局長は「沖縄には約6000人の潜在失業者がいるが、奄美の人たちが帰ってくれたら失業者はいなくなる」と語り、別の局長は「沖縄で悪いことをする奄美の連中は片っ端から強制送還する。そうすれば失業問題なんかいっぺんに片付く」と語っており、この発言は復帰後の奄美人に対する琉球政府の差別姿勢を表していた。 2007年時点で沖縄には奄美出身者が約5万人いるとされているが、自分から奄美出身者と名乗る人は滅多におらず、亡くなる直前に「自分は実は奄美人だった」と告白する人が2007年時点でも沢山いるという。
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