沖縄・日本近海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/02 08:25 UTC 版)
「アンツィオ (護衛空母)」の記事における「沖縄・日本近海」の解説
アンツィオは上陸部隊を乗せた輸送船団に空中援護を提供し、その一方で艦隊の前進基地として活用される事となっていた慶良間諸島占領の支援を行った。4月1日に沖縄戦が始まり、アンツィオは4月30日に舵の修理でウルシー環礁に下がるまで沖縄沖にあった。修理後、アンツィオは5月21日から沖縄方面で対潜任務を再開。5月28日、米掃海艇から日本潜水艦を発見したとの通報を受ける。31日0436、沖縄南東400浬地点付近でアンツィオから発進して捜索中のTBM アヴェンジャーが自機の東方5500mの海上で浮上航走中の伊161型潜水艦を雲の切れ間から発見。ロケット弾4発を発射し、2発が命中したと判断した。そのうち潜水艦が急速潜航したためソノブイとMk24電池式音響探知魚雷を投下。しばらく伊361型の大きな推進音がして、爆発音とともにそれは途絶えた。そこから15浬離れた海域を航行中の護衛駆逐艦オリヴァー・ミッチェル (USS Oliver Mitchell, DE-417) の乗員は海中の大きな衝撃を感じ、僚艦のタッバーラー (USS Tabberer, DE-418) と共に流出する重油とデッキの破片と思われる木の板、その他潜水艦のものと思われる破片を発見した。この攻撃で撃沈したのは伊361だった。アンツィオは6月17日まで任務を続けた後、サンペドロ湾に帰投した。 7月6日、アンツィオは第3艦隊(ウィリアム・ハルゼー大将)指揮下の第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)による日本本土への最終攻撃に随伴する第30.8任務群に加わってサンペドロ湾を出撃した。アンツィオは東京の東約970キロの地点を中心に対潜任務を行い、第38任務部隊の支援に専念した。7月16日、アンツィオの艦載機は北緯34度28分 東経150度55分 / 北緯34.467度 東経150.917度 / 34.467; 150.917の地点で、彩雲を積んでトラック諸島に向かう途中の伊号第一三潜水艦(伊13)を発見し、護衛駆逐艦ローレンス・C・タイラー (USS Lawrence C. Taylor, DE-415) とともに伊13を撃沈した。8月15日に日本が降伏すると、アンツィオはグアムに向かった。グアムで新人のパイロットへの訓練を行った後、沖縄に移動。朝鮮半島へ進駐するアメリカ軍を輸送する船団の哨戒任務に就き、9月8日に仁川に到着して進駐を支援。9月13日に仁川を出港して沖縄に戻ったアンツィオは、復員兵輸送のマジック・カーペット作戦に参加するためにサンフランシスコに向けて9月19日に出港し、9月30日到着した。
※この「沖縄・日本近海」の解説は、「アンツィオ (護衛空母)」の解説の一部です。
「沖縄・日本近海」を含む「アンツィオ (護衛空母)」の記事については、「アンツィオ (護衛空母)」の概要を参照ください。
- 沖縄・日本近海のページへのリンク