気比神宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:32 UTC 版)
福井県敦賀市、慶長19年(1614年)に再建された気比神宮本殿の桁梁には、割れた桃から出現する男の彫刻像があった(敦賀空襲により像は焼失)。四隅にそれぞれの装飾があり、童話の起源を物語るものと同社の略記に書かれており、他は浦島太郎、因幡の白兎、三猿だったとの回答を宮司(1956年時)から得ている。また、同社ではある時代から桃から生まれる嬰児の粘土細工の土産も売られていた。 これを検証した小池は、「果生型」の草双紙が流布した時代になれば、この像を見て"桃から桃太郎が生まれた"図案と解釈しえた、とそれなりの類似を認めつつも、像の制作時からこれが桃太郎だったと立証するにも"何一つ由来・伝説・資料等がない」と懐疑的な立場に徹した。 小池の見立てでは、この顔は幼児というより老人っぽく、髪をみずらに結っていた。神宮では、これを主神の伊奢沙別命(イザサワケノミコト)による大陸遠征の物語とする説があるが、何ら古文書に無く、日中戦争の1940年頃に喧伝されていたものなので時局に便乗した産物でないかと疑われるが、小池は最終的にその疑いを払拭して、この説を支持する結論に達している。 この像を桃太郎と見て特に疑わない意見もあり、美術史家の源豐秋(源豊宗)の論文(1923年)は安土桃山時代の桃太郎彫刻と鑑定し、中村直勝(1935年)も源豊宗の結論を引いており、のち俳人の志田義秀の『桃太郎概説』(1941年)も、本殿再建の慶長19年の彫刻と時代を遅らせているが桃太郎であることに異議を唱えていない。
※この「気比神宮」の解説は、「桃太郎」の解説の一部です。
「気比神宮」を含む「桃太郎」の記事については、「桃太郎」の概要を参照ください。
気比神宮と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
Weblioに収録されているすべての辞書から気比神宮を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 気比神宮のページへのリンク