回春型と果生型の成立順序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:32 UTC 版)
小池は慈雲院命鑑玖誉『太郎物語』(慶長5年/1600年)を原話にちかいものとみなしており、そこにあるような夫婦が神仏頼みで子を得た話が最も古い原型で、次いで夫婦が若返り子をもうけた形(「回春型」)、最後に「桃から生まれた桃太郎」(「果生型」)が登場したと提唱した。 近年の研究では「回春型」が「果生型」より先んづるとする論に賛成する意見も、同調するには慎重な意見もうかがえる。 島津久基は「桃から生まれた桃太郎」のほうが古い形態であると主張し、小池と島津の両者は激しく対立している。大正末頃には、気比神宮の建築装飾が果実型の物語の早期成立を示すものであると指摘されたが、小池は桃太郎を模した作である証拠がなく、神宮で祀られる神の物語と伝える説が正しいと見た(§気比神宮に詳述)。 あくまで文献資料(草双紙)で見る限り、「桃から生まれた」話はより新しい系統の馬琴作『燕石雑志』(1811年)や『童話長篇』(1830年)等の作品にみられるとされる。なお、式亭三馬作『赤本再興桃太郎』(文化9年/1812年)においては桃が2個流れてきて、ひとつを食した老夫婦は若返り、もうひとつから桃太郎が生まれ、この異本の特色となっている。 前述したように、こうした江戸期の文献(草双紙など)では、桃を食べ若返った夫婦が子作りをはたす「回春型」桃太郎が主流であった。たとえば赤本『桃太郎昔語』(刊行年不詳)には、若返りした媼が桃太郎を出産する挿絵がある。 明治時代が近づくにつれて桃から生まれた「果生型」桃太郎が、より多くみられるようになった。
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