回春病院での業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 14:53 UTC 版)
回春病院内にある研究所、らい菌研究所所長(1926年(大正15年)6月 - 1933年(昭和8年)12月)であり(内田三千太郎、田村貞亮に続き3代目)で、また、実質的には第2代目の回春病院院長(初代を三宅俊輔として)であった。ハンセン病患者数約70名の回春病院で、患者診察の傍ら、研究所と熊本大学病理学教室で研究を続け、1932年(昭和7年)6月に学位論文を提出し、熊本医科大学で医学博士の称号を受けた。主論文は「諸種塩類と腫瘍発育との関係」で、内容細目として「特に諸種塩類と血糖量体温自律神経機能並に血液像に及ぼす影響と腫瘍発育との関係/正常家兎に於ける諸種塩類と自律神経系との関係」とある。副論文は「らいに於ける血液像」と「気象と神経痛との関係」などであった。特に後者は彼が研究所から近くにある熊本測候所(熊本気象台)の気象のデータと2000回を超える神経痛発作とを1年間比較検討したものである。
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