比較の視点-日本の安政五ヶ国条約との相違点-
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「日朝修好条規」の記事における「比較の視点-日本の安政五ヶ国条約との相違点-」の解説
日朝修好条規の締結は、それ以外の諸国の人々の関心も引いた。たとえば駐日イギリス公使ハリー・パークスは日朝修好条規が日英通商条約と類似しているとの感想を漏らしている。日本が最初に締結した日米和親条約や日米修好通商条約はその後に結ばれた西欧列強と締結した諸条約のモデルとなっている。日朝修好条規は日米間の条約を研究して結ばれたものであるから、パークスが感じるように日朝修好条規と日英間の条約の性格が似ているのは当然といえる。強いて類別すれば、条規そのものは日米和親条約にあたり、付録及び貿易規則・公文は日米修好通商条約に該当する。 しかし同様の性格を有しながら、いくつか相違点もある。朝鮮を「自主の国」とわざわざ言明している点は、この条約の特殊な点である。西欧列強の対日条約のいずれにも、これに類似する項目は無い。また最恵国待遇がないことも特徴の一つである。駐日イギリス公使パークスは、日本の朝鮮への要求が日本に対する欧米側の要求よりも上まわっていることについて、非常に注目していた。以下に主要な違いを列挙する。 朝鮮側の雇用が前提とはいえ、日本の商船が開港地以外での沿岸貿易が許される余地があること。これは当時日本自身が欧米列強から強く要求されていたものであった。 開港地に外国人の遊歩区域を設けている点は同様であるが、日朝修好条規では外国人の商業行為をも認めている。 安政五ヶ国条約では、治外法権を犠牲にしても外国人の商業行為を阻止した。それにより日本が国内の産業育成の時間的猶予を得られたといわれる。しかし日朝修好条規では、そうした暇を朝鮮に与えることは無かったのである。 同じく開港場にて日本の貨幣使用が認められている点も西欧の対日条約と同じであるが、それらでは銅貨の輸出は認められていない。しかしこの日朝修好条規では認められ、その海外流出を促した。 港税の価格が異なる。日本と欧米間の取り決めでは港税は22ドル(入港料15ドル+出港料7ドル)であったのに対し、日朝間では蒸気船など大きな船舶については5円、それ以下の規模の船は積載量により2円と1円50銭とされた。明治のこの時期の為替レートは1円=1ドルほどであったので、港税は1/4程度の廉価に抑えられているといえる。貿易・海外進出に関し先行する日本にとって有利なものとなっている。 米など穀類の輸出の自由。 朝鮮人の地主と直接交渉して土地貸借ができること。 以上から日朝修好条規は、日本が欧米と結んだ諸条約と比較してより過酷な内容を持ったものになっている、といえる。
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