武谷がまん量とALARA(As low as reasonably achievable)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 16:50 UTC 版)
「低線量被曝問題」の記事における「武谷がまん量とALARA(As low as reasonably achievable)」の解説
1954年(昭和29年)3月1日に米国はマーシャル諸島のビキニ環礁で第一回の水爆実験を実施したが、その実験に巻き込まれる形で第五福竜丸の乗組員は被曝し、海洋汚染により近辺海域のマグロやカツオが放射能汚染される事態となった。 さらに、水爆実験は大量の放射性物質を大気にまき散らしたため、5月中旬以降梅雨に入ると、全国各所において降雨に高い放射能が検知されることとなった。不安を感じた市民は、飲み水を一升瓶に入れて、各地の保健所へ検査を求め大勢つめかけるなど大きな社会問題となった。 これら事態を受け同年11月に日米放射能会議が開催されたが、漠然とした安全基準が示されるに止まり、市民の不安を取り除くには至らなかった。そのような不安を解消できない状況下において、次第に政府の方針に追従する学者たちを中心に、微量の放射線被曝による影響(確率的影響)については「許容量以下ならば無害である」という確率的影響の閾値として、科学的根拠なしに、許容量概念が利用されるようになっていた。 一方で、急性の放射線障害といった閾値の存在する確定的影響ではない確率的影響について、当時(1950年代中頃)においても、閾値が存在せず被曝線量の総和に比例して障害発生の確率が増えると考える説が世界の専門学者らによって科学的に大体認められてきていた。これはすなわち、許容量以下の被曝であっても人体に対しては有害であることを意味するが、しかしかといって現に受けている被曝を無くす方法はない。 このような一般には納得しがたい状態をうまく説明するものとして、立教大学教授であった武谷三男は、放射線防護のための新しい考え方として、 『許容量』とは安全を保証する自然科学的な概念ではなく、放射線利用の利益とそれに伴う被曝のリスクを比較して決まる社会的な概念であって、”がまん量”とでも呼ぶべきものである。 という許容量のがまん量解釈を提唱した(武谷説)。ここで最も革新的であったのは、現代のICRPによる放射線防護の考え方でいうところの行為の正当化(the justification of practice)の考え方を明確に導入したことであった。 武谷説による解釈(行為の正当化)の例被曝形態線量限度(許容量)被曝に伴う利益線量限度以下の被曝をがまんする理由医療被曝なし(無制限) 病気の治癒 放射線治療などをせずに病気を進行させてしまうリスクの方が被曝リスクよりも高いため 職業被曝電離放射線障害防止規則(昭和四十七年労働省令第四十一号)第四条1項:放射線業務従事者の被ばく限度 危険手当など 被曝によるリスクを抱えるに見合った手当を給与に上乗せしてもらえるため
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