檸檬忌・文学碑とは? わかりやすく解説

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檸檬忌・文学碑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:46 UTC 版)

梶井基次郎」の記事における「檸檬忌・文学碑」の解説

命日3月24日は、代表作である『檸檬』から、「檸檬忌」(れもんき)と呼ばれる1971年昭和46年11月静岡県伊豆市湯ヶ島温泉旅館湯川屋」に文学碑建立されたのを機に、「湯川屋」主人安藤公夫(故人)が始めたとされる2000年平成12年)を最後にイベント的には一旦途絶えていたが、地元住人たちの間で機運高まり2016年平成28年7月に「新生檸檬忌」として復活した会合は必ずしも命日行っているわけではない模様である。2017年平成29年5月現在は故・安公夫の孫の神田航平が実行委員会主催している。 基次郎の墓は、大阪市南区中寺町(現・中央区中寺常国寺2丁目常国寺にある。墓文字中谷孝雄の書。墓の横には、北神正が建てた梶井基次郎碑がある。 静岡県伊豆市湯ヶ島温泉旅館湯川屋」近く文学碑がある。1971年昭和46年11月3日建立当時田方郡天城湯ケ島町)。除幕式では、兄・謙一の孫娘少女除幕の綱を引いた。西瀬英行制作の碑には、川端康成宛てた次郎筆跡の以下の手紙の文面刻まれている。脇には「梶井基次郎文学碑」という川端康成の書の副碑や、基次郎臍の緒収めた壺が埋められた「檸檬塚」もある。碑石は「能勢石」という伊丹市能勢妙見峡谷猪名川水源の砂に埋もれていた自然石である。 山の便りお知らせいたします八重がまだ咲き残つてゐます つつじが火がついたやうに咲いて来ました 石楠花湯本館の玄関ところにあるのが一昨日一輪今日は浄簾の滝の方で満開一株見ましたが大抵はまだの紅もさしてゐない位ですげんげん畑は堀り返へされて苗代田なりました。もう燕が来ての上飛んでます。 — 梶井基次郎川端康成宛て書簡」(昭和2年4月30日付) 三重県松阪市松阪城址に『城のある町にて』の文学碑がある。1974年昭和49年8月建立三重県北牟婁郡海山町(現・紀北町の上里小学校(姉・冨士教鞭とってい学校)の校庭内に文学碑がある。1978年昭和53年5月14日建立。『城のある町にて』の作中北牟婁郡言及する其処は山のなかの寒村で、…〉の一節新仮名遣い刻まれている。 大阪市西区靱公園内に文学碑がある。1981年昭和56年6月建立。碑には『檸檬』の一節刻まれている。 兵庫県伊丹市千僧3丁目の西善寺公園文学碑がある。1986年昭和61年5月21日建立

※この「檸檬忌・文学碑」の解説は、「梶井基次郎」の解説の一部です。
「檸檬忌・文学碑」を含む「梶井基次郎」の記事については、「梶井基次郎」の概要を参照ください。

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