楠中学の創立と校地整備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 23:04 UTC 版)
「四日市市立楠中学校」の記事における「楠中学の創立と校地整備」の解説
学制改革を受け、当時の楠町議会は1947年(昭和22年)4月15日に楠中学校の設立を議決、同日付で楠小学校から教員2人を楠中学校に転任させた。更に4月30日、教員5人を周辺小学校から転任させて開校準備を行い、5月13日に楠町立楠中学校の開校式を挙行した。開校当初は楠小学校講堂に衝立を設けて5教室を作り、講堂の西の校舎から3教室を借用して授業を実施した。講堂の校舎は衝立で仕切られただけで上部が開いていたため、隣の教室からの授業の声がそのまま聞こえ、教員は大きな声で授業しなければ生徒に聞こえないという有様だった。教科書も教具も不十分だったが、生徒は白線帽を被り中学生になったことを喜んだという。 中学校としての体裁が整ってきたところで、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)より独立校舎とするよう通知が届き、1948年(昭和23年)1月21日に楠町議会は楠小学校の北側に校舎を建設することを議決した。ただちに校舎建設を開始し、総面積1,103坪(≒3,646m2)、建設費221万円、10教室を持つ新校舎が建設され、6月1日に移転した。この間、2月28日にPTA結成大会を開催、5月には三重県の学校再配置計画により、河原田村立河原田中学校(後に四日市市立南中学校へ統合)と統合されそうになるが、生徒の保護者らの尽力で回避されている。1949年(昭和24年)2月1日には実習田を買収、3月3日には2教室を増築した。1950年(昭和25年)10月18日に校章を制定する。 新校舎は急造したものであったため、1950年(昭和25年)に本格的な新校舎を楠小学校の南の現校地に建設し、12月16日に落成式を挙行した。この校舎は延建築面積1,016.71坪(≒3,361m2)、総建築費1,879万円で、町制施行10周年を記念した建設事業であった。この頃の楠町の財政は豊かであったことから高品質の校舎の建設ができ、1951年(昭和26年)には文部省から優良施設校表彰を受けた。また同年11月21日には近畿地方を巡幸する昭和天皇の三重郡奉迎場に選ばれ、約1万人が楠中学校で天皇を出迎えた。12月28日に「楠中教育の歩み」を発表した。
※この「楠中学の創立と校地整備」の解説は、「四日市市立楠中学校」の解説の一部です。
「楠中学の創立と校地整備」を含む「四日市市立楠中学校」の記事については、「四日市市立楠中学校」の概要を参照ください。
- 楠中学の創立と校地整備のページへのリンク