検挙後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 21:50 UTC 版)
田中の所持品からは、イルマの所持品である黒カバンや金製の腕時計、真珠の付いた指輪が見つかった。前科者の指紋に該当が無いとされた現場の指紋は、現場の指紋のネガと保管されていた田中の指紋を照合したところ、指紋の凸部に付着した血液ではなく、凹部に残った血液を拭き取ったときにできた逆指紋であることが明らかとなり、逆指紋の照合が犯罪捜査で用いられた世界でも最初の例とされている。 犯人逮捕に伴い、事件に関する報道も解禁された。田中には死刑判決が下り、1918年(大正7年)3月11日、田中は長崎刑務所で処刑された。捜査の糸口となる妓娼を発見した巡査には、谷口知事から表彰状と当時としては破格の賞与である80円が与えられた。 福岡俘虜収容所は、1918年3月に最後まで残ったワルデック総督らが習志野俘虜収容所に移され、4月12日に閉鎖された。 海軍大臣の娘が殺害されたということもあり、ドイツ帝国政府は中立国のアメリカを通して日本政府に厳重抗議したが、約1ヶ月で犯人が逮捕されたことや、大尉が遺書で日本の警察の捜査が丁寧であることを明記したこともあり、それ以上の追及は無かった。 2008年(平成20年)、ザルデルン夫妻の子孫から、大尉の上官が作成した遺書の複製や事件の報告、夫妻の葬儀の写真、イルマの妹にイルティス級砲艦「ヤグアル」艦長から送られた手紙、大尉が青島や福岡から送った手紙の史料が久留米市に寄贈された。
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