結婚と恐喝・強姦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 09:01 UTC 版)
1962年(昭和37年)5月に、前年知り合った女性と1年の交際を経て結婚。しかし結婚するまで偽名と虚偽の経歴を語り、素性を明らかにした後も犯歴は妻には黙っていた。翌年には長男が生まれ、さらに谷川伊凡のペンネームで詩集『頌歌』を自費出版している。1964年(昭和39年)9月、妻の親族を通して得た権利で自宅に牛乳販売店を開き、当初は熱心に働いた。だが、1965年(昭和40年)6月3日に牛乳瓶2本を盗もうとした少年の兄(同業者だった)のもとに押しかけて2万円を脅し取り、後日新たに示談書を書かせたため、恐喝および恐喝未遂罪で逮捕された。この事件で、懲役1年・執行猶予4年の刑を受けたばかりか、自らの犯歴が妻に知られることになり、牛乳屋も不振に陥る。なお、この年に長女が誕生していた。 大久保は結婚してからも、自家用車で外出してはガールハントを続けていたが、恐喝での検挙後に再び強姦事件を起こすことになる。1966年(昭和41年)12月23日に16歳の女子高生を自動車に乗せ、高崎市内に停めた車内で強姦。翌1967年(昭和42年)2月24日にも20歳の女子短大生を自動車に乗せ、同じ場所で強姦した。この一件から大久保は逮捕され、懲役3年6か月の判決を受ける。加えて恐喝事件の執行猶予も取り消され、懲役4年6か月の刑となり、府中刑務所に服役した。 府中刑務所でも大久保は模範囚として振る舞い、所長からの表彰を4度も受けた。一方、妻からは離婚の申し入れがあったが、大久保は出所まで待ってほしいとこれを止めていた。室内装飾品販売を起業する更生計画を作成したこともあり、1971年(昭和46年)3月2日に仮釈放となる。
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