検挙と釈放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/09 03:46 UTC 版)
1931年(昭和6年)1月、工場での活動のため戸部警察署に検挙される。その後の取調べで良家の子女であることが判明したため1か月ほどで釈放され、父に引き取られる。五林平の実家では、自分ひとりだけ同志より早く解放されたことに悩み、4月上旬まで五所川原市の親戚に預けられる。 6月中旬に東京へ戻ると、北千住の宇佐美紙器工場で働くが、7月下旬に五郷村青年訓練所ストライキの首謀者として上野憲兵隊に検挙され、青森県警察特別高等課に引き渡される。しかし良はこの件とは無関係であり、8月下旬に浪岡警察署から釈放される。 9月18日以降、姿をくらました良は青森市を中心に地下活動を行うが、特高の捜査の手が伸びてきたため、札幌で暮らす姉・高松千代を頼ることに決める。
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