棋戦における特徴・エピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:13 UTC 版)
「中村修 (棋士)」の記事における「棋戦における特徴・エピソード」の解説
1986年3月15日に23歳にして史上最年少王将となり、その記録は36年間も破られなかった。自身は意識してなく、2020年まで知らなかったという。2022年2月12日、奇しくも自身が立会人を務めた第71期ALSOK杯王将戦七番勝負第4局で、19歳の藤井聡太が渡辺明に勝ち王将奪取となり、最年少王将の記録が更新された。 順位戦では、デビューから2期連続昇級するもの、B級2組はなかなか抜け出せず、12期の足踏みの末にB級1組に昇級した。翌年度に降級するも1年で復帰し、それ以降、しばらくB級1組に留まり、大きく勝ち越しもせず大きく負け越しもせずという状態が続いた。 B級2組で足踏みが続き、55年組の多くの棋士にも先を越されたが、2019年現在、B級2組に在籍し55年組の中で一番上のクラスに在籍している。また、順位戦の出遅れにより、昇段も55年組の高橋、南芳一、塚田泰明に先を越され、九段昇段も彼らより後となった。同じく55年組の島朗よりは、やや早く九段に昇段した。 竜王戦では5回の本戦進出を果たしている。しかし、ランキング戦の優勝はなく、各組での優勝者に贈呈されるメダルを獲得したことがない。2007年度(第20期)に3組に降級するまでは、竜王戦発足当初から1組と2組の間を行ったり来たりしていた。 タイトル在位歴があり、段位も九段の棋士としては珍しく、A級の経験がない(同じ立場の現役棋士では他に、福崎文吾。また、A級在位歴・竜王戦1組在籍歴があるものの、タイトル戦登場および挑戦者決定戦も経験が無い、逆の立場には井上慶太がいる)。 1992年6月25日、棋聖戦の予選で、巨星・大山康晴にとっての最後の対局の相手となった。大山とは6回対局し、この対局が唯一の勝利だった。当時の大山は既にかなり身体を悪くしていたが、逆転負けとなった時は凄く悔しそうにしていたと言う。 羽生世代の台頭に55年組が影を潜めたのは、羽生世代と将棋に対する真剣度に差があったからと話していて、塚田も賛同している。また、同じ55年組でも、高橋、南、島は羽生世代とタイトル戦を戦ってるので、戦ってもいない自分らと一緒にしてはいけないとも話している。
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