東阪企画社長として
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1974年(昭和49年)、日本テレビの制作局次長だった井原高忠の薦めで上京し、朝日放送が大阪東通と話し合い出資し、東阪企画を設立。ABCは、澤田に東阪を通じて他のキー局や在京の制作会社各社と交流を強化する役割を期待し、異例の兼職を認めた。 その後関西で培ったお笑いの知識や人脈を生かして「花王名人劇場」(関西テレビ・フジテレビ系)の演出・プロデュースを担当するなど、得意とする演芸番組で実績を作ったほか、演芸分野以外でも『ズームイン!!朝!』(日本テレビ)など数多くの番組を手掛ける。最盛期は月80本以上のレギュラー番組を制作し、放送していた。同社には63歳になった1996年(平成8年)まで在籍していた。 詳細は「東阪企画#情報・バラエティ部門」を参照 社会現象になった1980年代初頭の漫才ブームは、「花王名人劇場」における澤田の果たした役割が大きいとされ、この番組で放送した横山やすし・西川きよし、B&B、星セント・ルイス出演の「激突!漫才新幹線」がヒット。現在では「THE MANZAI」の横澤彪と並ぶ「漫才ブームの仕掛け人」との評価が確立している。 詳細は「漫才ブーム#概要」および「日本お笑い史#MANZAIブーム(お笑い第二世代)」を参照 その一方で上方を中心とする大衆演芸の後継者育成にも力を入れ、花王名人劇場の年末特別企画で演芸賞『花王名人大賞』を創設。番組継続中、9回に渡って放送した。漫才ブームからお笑い第三世代の担い手たちは、花王名人大賞の新人賞を受けた者が多く、香川がいち早くその実力を認めたダウンタウンもそのうちの一組である。 詳細は「花王名人大賞スペシャル#新人賞」および「日本お笑い史#お笑い第三世代」を参照 「香川登志緒#ダウンタウン」も参照 1978年(昭和53年)にスタートした『ズームイン』に東阪が制作協力として入り、1980年(昭和55年)6月、井原が病気を理由に退職すると、早朝から日中にかけての時間帯の生放送番組のほとんどすべてに東阪が関わるようになった。2011年(平成23年)現在は、平日朝の『ZIP!』『PON!』、土曜日朝の『ズームイン!!サタデー』に東阪のスタッフが入っている。 澤田はテレビ番組以外にイベント企画等も手がけており、スペースワールド(北九州市)のオープンプランニングに参加したほか、数多くの地方博の企画・演出を行っている。
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