東邦電力への改称
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九州電灯鉄道をはじめ合併を繰り返した関西電気は、「関西」という社名が実態に合わなくなったとして、まもなく社名の変更を決定した。1922年6月上旬より新社名案を懸賞付きで公募したところ、20日の締切までに短期間ながら応募者数8341名、応募点数約1万1900点・社名案1414種を集めた。入選した「日本電気」「不二電気」「太陽電気」「中央電気」などの案から選考の結果「東邦電力」を採用し、6月26日の定時株主総会にて商号を「東邦電力株式会社」と改めた。「東邦」(トウホウ)の社名は、「東の邦(くに)」すなわち日本を意味するとともに、「光は東方より」という意味を重ねたものである。また社章も職員や工業学校の教員・生徒から募集し、430点の応募の中から1点を選び若干の修正を加えたものを決定し、以後解散まで使用した。 上記の株主総会では役員の増員も行い、合併会社が多数あるため取締役は計20名、監査役は8名に及んだ。主要な経営陣は、代表取締役社長伊丹弥太郎、同副社長松永安左エ門(ただし伊丹は他の事業も抱えるためもっぱら松永に経営を委ねていた)、専務取締役田中徳次郎、常務取締役角田正喬・神谷卓男・桜木亮三・竹岡陽一である。同時に定款に定める本店を名古屋市から東京市へと変更する件も議決し、実際に10月までに一部を除く本社業務を東京市麹町区丸ノ内の東京海上ビルへと移転した。なお総会と同日付で、東邦電力のガス事業を独立させた東邦瓦斯株式会社と、電気機器の製作・修繕などを営む工作所を独立させた株式会社東邦電機工作所の2社が設立されている。 また1922年7月1日、管内を東西に分割し、関西支社・九州支社を置いてそれぞれ業務を統括させた。関西支社の所管は名古屋・岐阜・四日市・奈良各支店と豊橋営業所、九州支店の所管は下関・福岡・久留米・大牟田・佐賀・長崎・佐世保各支店と唐津営業所である。2年後の1924年(大正13年)3月15日、支社制は廃止され、以降両地域は「関西区域」「九州区域」と呼称されるようになった。 東邦電力となった後の1922年下期末(10月末)時点での電灯供給実績は需要家数72万2千戸・取付個数201万5千灯、電力供給実績は需要家数1万4千戸・供給馬力数12万1千馬力であった。
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