条約交渉における日本側の基本姿勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:42 UTC 版)
「日朝修好条規」の記事における「条約交渉における日本側の基本姿勢」の解説
明治政府のフランス人法律顧問ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を「決して朝鮮に譲歩すべきではない」と具申した。 釜山・江華港を貿易港として開港する。 朝鮮領海の航行の自由。 江華島事件についての謝罪要求。 またこれらが満たされない場合、軍事行動も含む強硬な外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見はほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}さらに朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた。これは欧米列強の干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである。[要出典] 交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋が山口県下関に入り、広島・熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのである。[要出典] ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点及び戦争の発生がロシアや清朝の介入を許容する要因になるかもしれず、その点からも極力は戦争を回避する姿勢であった。 以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。 砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。 江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係を樹立すること。 また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮の宗主国である対清朝政策でもあり、清朝の干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。
※この「条約交渉における日本側の基本姿勢」の解説は、「日朝修好条規」の解説の一部です。
「条約交渉における日本側の基本姿勢」を含む「日朝修好条規」の記事については、「日朝修好条規」の概要を参照ください。
- 条約交渉における日本側の基本姿勢のページへのリンク