李部王記とは? わかりやすく解説

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李部王記

読み方:リホウオウキ(rihououki)

分野 日記

年代 平安中期

作者 重明親王


吏部王記

(李部王記 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/12 07:06 UTC 版)

吏部王記(りほうおうき/りぶおうき)は、醍醐天皇第四皇子重明親王の日記で、平安時代中期の政務や朝儀を理解する上での重要な史料である。

本書は、重明親王の極官が式部卿であったため、式部の唐名「吏部」に因んで名付けられた。本書の書名は、『李部王記』『吏部記』『李部記』『重明親王記』『重明記』『重記』等多数の記載方法がある。

本書は逸文しか残っていないが、これらを蒐集すると、延喜20年(920年)正月14日条から、天暦7年(953年)2月23日条までの34年間に亙って記録されていることがわかる。ただ、これはあくまでも逸文蒐集によって得られた結果であるため、正確なところは明瞭でない。日記終了の下限とされる天暦7年2月23日は、親王薨去の1年6ヶ月前(親王は天暦8年9月14日に薨去)であるため、その間の日記が存在しなかったとは考えがたい(同時代の公卿で親王の舅でもある藤原師輔は、薨去2日前まで日記を筆録している。詳しくは『九暦』の項を参照のこと)。『北山抄』によると「見吏部王(重明親王)天暦七年菊合日記」(括弧は筆者註)とあり、天暦7年の菊合の御遊は、10月13日に行われている(『古今著聞集』)。これらのことから、親王は天暦7年10月13日迄日記を筆録していたことがわかるが、いつを下限とするかは明確ではない。

刊行

  • 古代学協会編『吏部王記』(史料拾遺3、臨川書店、昭和44年〈1969年〉)。各・本書の逸文を収録した活字本
  • 米田雄介・吉岡真之編『吏部王記』(史料纂集、続群書類従完成会、昭和49年〈1974年〉)
  • 『吏部王記』の読み下し文は国際日本文化研究センター「摂関期古記録データベース」で公開されている。

出典

  1. ^ 便宜上、現存部分が866年以降に始まる古記録とした。
  2. ^ 便宜上、現存部分が1086年以降に始まる古記録とした。


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