本書の移入販売禁止処分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 00:58 UTC 版)
「帝国主義下の台湾」の記事における「本書の移入販売禁止処分」の解説
本書は台湾の人々に自由の鐘を打ち鳴らす「バイブル」として歓迎されたが、それがため台湾ではたちまち移入販売禁止処分にされた。同処分の法的根拠は、「台湾出版規則」(明治33年(1900年)2月制定の律令)である。同規則第11条は、「皇室の尊厳を冒涜し、政体を変革し、又は国憲を紊乱せんとするもの」と並んで「安寧秩序を妨害し又は風俗を壊乱するもの」を販売禁止にできるとしており、同規則12条では、「本島以外の帝国領土又は外国に於いて出版したる文書図画にして前条各項に該当するものと認めたるときは其の印本を差押ふることあるべし」と規定していた。本書は、安寧の妨害にあたるとされ、1930年(昭和5年)1月9日移入禁止処分にされた。処分の具体的理由が、台湾総督府の出版検閲・規制活動を示す「台湾出版警察報」に残されている。これによると「台湾の資本主義的植民政策を難じ、政治教育民族運動等に論及し、その引例等も先に禁止せられたる蔡培火著『日本本国民に告ぐ(ママ)』よりする等偏見的観察に基づくもの多し。その1、2か所を摘録すれば、<1>『台湾の経済的開発に関し総督府は熱心に資本家の投資を勧誘した。内地資本家に対しても本島人に対しても。しかも投資の効果はこの両者において異なる。内地人資本家は企業の支配的実権者として立ち、本島人は単なる出資者である。政府の奨励勧誘による会社設立、株式応募の結果は、本島人の資金を会社株式に吸収することをつとめ、而して会社経営の実権者及び会社利潤(配当及賞与として)の主たる獲得者内地人資本家たらしめたるものである。林本源製糖会社の設立の経緯はその一例である』。<2>『台湾の事情は印度ほどではなくとも、尚印度的と称すべきである。植民地教育は原住者の初等教育よりも高等教育を重んずることが通例にして、之統治の助手を養成すると同時に一般庶民愚ならしめ、以って統治の便宜を計るの策と称せらるる所である。印度は其の著例である。而して台湾の高等教育偏重の程度は印度ほどにはあらざるも、其内容に至りては又印度に見ざる別個の特徴を有する。即ち高等教育の植民者(内地人)独占である』」とされた。蔡培火の統治批判の書を肯定的に紹介していること、林本源製糖株式会社の設立過程や台湾の教育事情を批判的に論じていることが、移入販売禁止処分の具体的理由とされた。
※この「本書の移入販売禁止処分」の解説は、「帝国主義下の台湾」の解説の一部です。
「本書の移入販売禁止処分」を含む「帝国主義下の台湾」の記事については、「帝国主義下の台湾」の概要を参照ください。
- 本書の移入販売禁止処分のページへのリンク