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本多丕道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 02:58 UTC 版)

本多 丕道(ほんだ ひろみち、1916年大正5年〉5月11日 - 1990年平成2年〉8月5日[1])は、日本警察官僚。第68代警視総監位階勲等従三位勲二等。

経歴

東京府出身[1]第一高等学校を卒業。1940年昭和15年)10月、高等試験行政科試験に合格。1941年(昭和16年)3月、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し神祇院属となる[2]

短期現役海軍主計科士官(6期)を志願し、1941年(昭和16年)4月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年8月に卒業し「霧島」乗組となる。以後、「知床」乗組、下関防備隊主計長、第104航空基地隊主計長、東印海軍航空隊主計長などを歴任しジャワ島終戦を迎えた。1945年(昭和20年)9月、海軍主計少佐に昇進[3]1946年復員[4]

内務省に復帰。1949年(昭和24年)、警視庁京橋警察署長に就任。以後、警視庁人事部人事課長、秋田県警察本部長、栃木県警察本部長、警察庁刑事局鑑識課長、同捜査第一課長、警視庁刑事部長、同警務部長、警察大学校長、警察庁警務局長などを歴任[4]1970年(昭和45年)7月、警視総監に就任し1972年(昭和47年)6月まで在任した[5]

退官後、総理府首都圏整備委員会委員、日本航空顧問を務めた[1][4]1987年(昭和62年)春の叙勲で勲二等瑞宝章を受章[6]

1990年平成2年)8月5日、死去。74歳没。死没日付で叙・従三位[7]

脚注

  1. ^ a b c 『現代物故者事典 1988~1990』565頁。
  2. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』339頁。
  3. ^ 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』50、441頁。
  4. ^ a b c 『日本警察官僚総合名鑑』57頁。
  5. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』489頁。
  6. ^ 『官報』号外 第44号1頁 昭和62年4月30日
  7. ^ 『官報』第442号7頁 平成2年8月18日

参考文献

  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 小山善一郎・石丸陽編『日本警察官僚総合名鑑』新時代社、2005年。
  • 『現代物故者事典 1988~1990』日外アソシエーツ、1993年。
  • 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。
官職
先代
秦野章
警視総監
第68代

1970年7月7日 - 1972年6月26日
次代
槇野勇



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