服装の乱れは心の乱れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 05:04 UTC 版)
1980年代頃から、服装の乱れは心の乱れ(ふくそうのみだれは こころのみだれ)という標語を掲げた服装指導も見られるようになった。学校生活が持つモダニズム的価値観に肯定的な「真面目」な生徒は、学校側が規定したとおりの服装をしていることが多い。 この標語の使用には否定的意見も多く出された。代表的な意見としては、以下のようなものがある。 「服装の乱れ」によって「心の乱れ」が生じているのか、はたまた「心の乱れ」によって「服装の乱れ」が生じているのか、という2つの事象の因果関係が明確でない。強引に結びつけたと考える人もいる。(「服装の乱れ」と「心の乱れ」は必ず一致するのか) 「学校が決めた」秩序や規範への異議を「心の乱れ」とする立場は、自律的ではない“上が決めた”規範に何の疑問を抱かず従順に従うことを美徳とする価値観を強制しているに過ぎない。 服装を取り締まることが、指導対象となる人の「心の乱れ」に対しての「心のケア」に役立つのか? 逆に、指導されたことで心が更に乱れる可能性がある。 そもそも「心の乱れ」とは何を指すのかが不明。心が乱れているのであれば「心のケア」が先ではないのか。 「服装の乱れ」の定義も不明。教師各人の主観的判断によるところが大きく、規範として成立していない。 服装に干渉することは、日本国憲法第21条(表現の自由保障)に違反している。 学業と身なりに興味を持つことは両立し得る。 支持する側からは、次のような反論がある。 服装を乱すのは、「学校が決めた」秩序や規範に従わないことの表明であるから、それ自体、面目な学校生活に対する「心の乱れ」と表現しうる。 制服着用はあくまで学校生活を過ごす上での規則であり、さまざまな職業(例えば警察官や駅員)における規定制服着用義務と同じである。帰宅して以後や長期休暇中など個人の立場における服装の自由は保障されており、学校内で服装指導をする事が即憲法違反とは言えない。 規則通りの服装にさせる指導も、「心のケア」の一環である。 なお岩手県花巻市立中学校の一部などに、1990年代初頭まで「放課後や休日でも、自宅から200m以上離れた場所に私服で外出してはならない。」という校則が存在し、制服か学校指定のジャージでの外出が強制されていた。また当時の同地域男子生徒は坊主頭が強制であった。
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