有力御家人の伝承・上総介広常と千葉常胤とは? わかりやすく解説

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有力御家人の伝承・上総介広常と千葉常胤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:59 UTC 版)

吾妻鏡」の記事における「有力御家人の伝承・上総介広常と千葉常胤」の解説

頼朝挙兵直後石橋山の戦い敗れて船で房総安房に渡るが、治承4年1180年8月29日以降同年10月6日条の鎌倉入りまで、頼朝右筆藤原邦通北条親子同行していない。このとき大武士団を率いて馳せ参じその後明暗を分けた二人の有力御家人が居る。上総介広常同族千葉常胤である。 上総介広常は、後に頼朝の命により殺されたが、その理由事件のあらまし『吾妻鏡』では明らかではない。ただし上総介広常は後に殺されることを予感させるような人物像として描かれている。その代表例治承4年1180年9月19日条の、上総介広常初め頼朝会ったときの話である。『将門記』の古事をひきながら、広常は場合によっては頼朝討ってやろうと「内に二図の存念」を持っていたが、頼朝毅然とした態度に「害心変じ和順奉る」という下りである。広常が内心思ったことが後世編纂者にまで伝えられたと見るのは不自然である。また、このとき上総介広常率いてきた軍勢は、『吾妻鏡』によれば2万騎であるが、『延慶平家物語』には1万騎、『源平闘諍録』には千騎とあり、『吾妻鏡』が一番誇張大きい。 それと対照的なのが千葉常胤記述である。治承4年1180年9月9日条で常胤は「源家中絶の跡を興せしめ給うの條、感涙眼を遮り言語の覃ぶ所に非ざるなり」と感動して涙ぐむ。そして、頼朝はなぜ鎌倉選んだのかという話に必ず引用されるのも、このときの千葉常胤献策である。しかし、千葉常胤にとっては、頼朝の父・源義朝は「御恩」を感じるような相手でないことは相馬御厨についての古文書明らかになっている。 千葉常胤一族、そして上総介広常頼朝加担したのは、『吾妻鏡』が描くように両氏累代源氏郎等であったからではなく、彼らにとっては上総介となった平家の家人藤原忠清や、平家結んだ下総藤原氏、そして常陸佐竹氏圧迫に対して頼朝を担ぐことによってそれを押し返し奪い取られた自領を復活するための起死回生賭けであった解されている。それは、関東頼朝元に参じた他の有力領主にしても同じである。 建久3年1192年8月5日条には、征夷大将軍となった頼朝政所始めにおいて、それまで頼朝安堵状回収して政所発給下文新たに与えようとしたところ、千葉常胤は「頗る確執」し「常胤が分に於いては別に御判副え置」いて欲しいと主張して特別に頼朝花押下文貰ったとあり、千葉常胤顕彰するその下文文面載せられている。『吾妻鏡』には記載はないが、小山朝政もまた特別に頼朝花押付き下文貰ったらしく、その実物が発見されている。そちらは極めて簡潔な安堵状らしいものであるに対して『吾妻鏡』載る千葉常胤へのものは、文言下文としてはあまりにも異様である。 以上各点などを考え合わせてこの期間を詳細に伝えられる家である千葉氏が、先祖顕彰家伝資料として提出した可能性高く、あるいはそれらを元に頼朝挙兵記」のような形で原型出来上がっていた可能性指摘されている。 千葉氏の他にこの間頼朝同行していたのは三浦一族であり、後に一族滅んだ宝治合戦北条側に付いて生き残った佐原三浦氏の祖・佐原義連顕彰記事も、上総介広常絡んで治承5年1181年6月19日条などに見られる

※この「有力御家人の伝承・上総介広常と千葉常胤」の解説は、「吾妻鏡」の解説の一部です。
「有力御家人の伝承・上総介広常と千葉常胤」を含む「吾妻鏡」の記事については、「吾妻鏡」の概要を参照ください。

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