有力ドイツ艦の黒海進出
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「サールィチ岬の海戦」の記事における「有力ドイツ艦の黒海進出」の解説
1914年8月16日、ドイツ帝国は同盟国であるオスマン帝国に対し、地中海や黒海における優勢を築くため2 隻の有力艦を引き渡した。これが、オスマン帝国海軍にとって最新艦となる巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリム(ドイツ名ゲーベン)とマクデブルク級小型巡洋艦ミディッリ(ドイツ名ブレスラウ)である。両艦はオスマン帝国海軍への編入後も、ドイツ人の乗員によって指揮されていた。戦闘に参加した2 隻のオスマン帝国艦は事実上ドイツの指揮下に入っていたため、ロシアではこれらをドイツ帝国海軍の所属艦と看做して元の艦名で呼ぶことが多い。 ゲーベンの速力と武装はロシアの旧式戦艦に対して絶対的に優位で、そのためロシア黒海艦隊の艦艇は単独行動ができず、個別撃破を防ぐために艦隊を組む必要を生じさせていた。ロシア黒海艦隊の司令部は、ゲーベンの速力を29 knと見積もっていた。実際には、ボイラーの消耗と基礎工業力の低いトルコでの修理能力の制限のため、ゲーベンはせいぜい24 knしか出せないでいた。とはいえ、これすらもロシアの保有する最も新しい戦艦や巡洋艦の速力を上回っていた。
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