最期の病気と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:25 UTC 版)
「アート・バックウォルド」の記事における「最期の病気と死」の解説
2000年、74歳の時にバックウォルドは脳梗塞を発症し、病院に2ヶ月以上入院することとなった。 2006年2月16日、AP通信によりバックウォルドが脚の膝より下を切断し、ワシントンの自宅とホスピスに滞在していると報じた。伝えられるところによれば、脚の血行不良のために切断する必要があると判断された故のことだった。 バックウォルドはラジオのトークショー番組のホスト役であるダイアン・レーム(英語版)に、自分をインタビューするよう招待した。この様子は2006年2月24日に放送され、その中でバックウォルドは自身の糖尿病に伴う腎不全を治療するために以前より行っていた人工透析を中止すると決めたことを明らかにした。レームは彼の決断について「旅立たねばならぬと決まったら、どう旅立つかは一大事だ」と文章を始め、これは彼の「最後の挑戦」であると表現した。バックウォルドは自分の選択に非常に満足しており、定期的にマクドナルドで食事をしているとリポートした。 後にバックウォルドはCNNのマイルズ・オブライエン(英語版)にインタビューを受けている。この様子は2006年3月31日に一部が放送された。バックウォルドは、もし自分が昏睡状態になれば蘇生措置を望まないという医師に対する彼の要望を記録したリビング・ウィルについて議論した。そのインタビューが行われた時点で、バックウォルドはまだ定期的なコラムの連載を持っていた。インタビューで彼は、「飛行機での最後のフライト」を行うのが夢だと語った。 バックウォルドはFOXニュースのクリス・ウォレス(英語版)にインタビューされ、2006年5月14日のFOXニュースサンデーにてその様子が放送されている。 2006年6月にホスピスを出た後、バックウォルドは再びダイアン・レームにインタビューされている。彼の腎臓は動いており、「毎朝、彼は自分自身に感謝している。何人かは自分の心臓に感謝するが、私は自分の腎臓に感謝している」とした。バックウォルドが新しい脚を得て、再びマーサズ・ヴィニヤードを訪問することを楽しみに待っているとも伝えた。 2006年7月には、マーサズ・ヴィニヤードのティズベリーにある自分の夏の家に戻った。そこでToo Soon to Say Goodbyeと題した本を完成させる。これは、ホスピスで過ごした5ヶ月間に関するものであった。彼の友人や出身大学、家族によって用意され、使用されなかった(あるいは、後に使用された)ユーロジー(追悼文)も、その本には収められている。 2006年11月3日、CNNのニュースアンカー、キーラ・フィリップス(英語版)がインタビューしている。1989年よりフィリップスはバックウォルドを知っていた。それは彼女の最初のインタビューだった。2006年11月22日、バックウォルドは再びダイアン・レームの番組に出演し、その際には自らを「ホスピスの看板男、なぜなら私は生きているから」と紹介した。 バックウォルドは2007年1月17日、ワシントンD.C.にある息子ジョエルの自宅で腎不全により死去した。81歳没。死去の翌日、ニューヨーク・タイムズのウェブサイトには「やあ、私はバックウォルドだ。つい先ほど、世を去った」と彼自身が宣言する死亡記事ビデオが掲載された。
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