最期の決断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 07:23 UTC 版)
圧倒的な兵力と物量を誇る米軍を前にして進退窮まったマニラ海軍防衛隊は、イントラムロス要塞に全軍を招集すると巡査隊から武器を回収、その代わりに敵戦車への体当たり用の棒地雷や円錐弾を配布した。「その場で全員玉砕すべし」との命令も出されており、事実上の陸上特攻の指示であった。 マニラへの総攻撃が加えられていた同年2月24日(公報では2月14日。2月23日とも)、廣枝が率いる隊は会敵し、二手に分かれて襲撃に備えた。このとき既に戦局の前途を達観していた廣枝は、「お前たちは行け、これ以上、米軍と対峙して戦闘を続行することは、戦備からも不可能である。さりとて、今ここで軍の命令どおり玉砕することは、まったく犬死に等しい。諸君の親兄弟は故国台湾で、一日も早く諸君の生還することを祈っている。このさい、米軍に投降してでも、捕虜となってでも、お前たちは生きて帰れ、玉砕命令にたいする責任は、隊長の私自身がとる。私は日本人だからね」と部下に言い残して壕に入り、自身の頭部に向けて拳銃で2発撃抜いて自決した。享年40。廣枝の自決後、廣枝の部下の多くが米軍に投降して捕虜となり台湾に生還した。
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