曹錕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 07:46 UTC 版)
曹 錕(そう こん)は清末民初の軍人、政治家。北洋軍閥直隷派の指導者の1人。第5代中華民国大総統。陸軍上将。字は仲珊。
- ^ 張(1978)、172頁。
- ^ 張(1978)、172-173頁。
- ^ a b 張(1978)、173頁。
- ^ 江蘇督軍の李純、湖北督軍の王占元、江西督軍の陳光遠。
- ^ 張(1978)、173-174頁。
- ^ この時、曹錕は副総統の地位を提示されたという。
- ^ 張(1978)、174-175頁。
- ^ 直隷省・江蘇省・江西省・湖北省・河南省・奉天省・吉林省・黒竜江省。
- ^ 張(1978)、175-176頁。
- ^ 張(1978)、176頁。
- ^ さらに保定派からは、曹錕の弟・曹鋭の天津派も分裂していった。
- ^ 張(1978)、176-177頁。
- ^ ハーディングは同年8月に急死。
- ^ この時、曹の大総統選出に協力した議員たちは「猪仔(豚の子)」と呼ばれ侮蔑された。
- ^ 張(1978)、177頁。
- ^ 張(1978)、177-178頁。
- ^ この当時、馮玉祥は郭松齢事件や「赤化」(共産党との連合)を批判されて下野に追い込まれていた。そのため馮玉祥配下の鹿鍾麟や張之江らが馮不在の国民軍を統率していた。
- ^ 張(1978)、178頁。
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