映画文法の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:38 UTC 版)
「D・W・グリフィス」の記事における「映画文法の確立」の解説
グリフィスは、映画芸術の基本を作った人物として映画史にその名が刻まれている。これまでの映画というと、ワンシーンワンショット、固定カメラ撮影が特徴で、演劇色が濃かった。しかし、グリフィスは様々な演出法や撮影技法を確立・駆使していき、映画を独自の視覚的表現・一つの芸術として発展させた。 グリフィスはこれまでのワンシーンワンショットによるシーン単位の撮影からショット単位の撮影を行い、1つの場面を複数のショットで構成させ、モンタージュを確立させた。1つの場面を複数のショットで構成することは「物語を撮る」意味で初期の作品から行われていたが、彼はショットとショットを繋いで劇的な効果を生みだすことに成功している。グリフィスのモンタージュは時間の連続性を失わせないように複数のカメラを使うマルチ・カヴァレッジという方法で撮影されたのが特徴。この方法は当初多大な撮影予算がかかるため敬遠されていたが、戦後に黒澤明が『七人の侍』の合戦シーンを複数カメラで撮影したことをきっかけにハリウッドでも普及し、このスタイルは一般的になった。[要出典]モンタージュに関しては1920年代にソ連の映画人たちが「モンタージュ理論」として体系化した。 異なる場所で同時に起きている2つ以上のシーンで、それぞれのショットを交互に繋ぐ編集法 であるクロスカッティング(並行モンタージュ、同時進行描写とも)もグリフィスが創始したといえる技術である。グリフィスお得意の演出「ラスト・ミニッツ・レスキュー(最後の瞬間の救出)」を使うときにクロスカッティングを用いられている。この技法は『淋しい別荘』の強盗襲撃のシーンで初めて用いられ、以降『國民の創生』『イントレランス』『東への道』などほとんどのグリフィス作品で使われた。 そのほかグリフィスが生み出した技法には移動撮影、フラッシュバック、フェードイン・アウト、アイリスイン・アウト、ポイントオブビュー(主観の切り換え)、イマジナリーラインなどがあり、一つのシーンをロングショット、ミドルショット、クローズアップといった違うショットサイズで撮影したのもグリフィスの功績である。 クローズアップを初めて使ったのもグリフィスと言われるが、グリフィスの以前から『おばあさんの虫眼鏡』『大列車強盗』などの作品でクローズアップはすでに使われていた。しかし、物語を語る点で初めて使ったのはグリフィスであり、映画評論家のH・A・ポタムキンは『シアター・ギルド』誌で「グリフィスの『網を繕う人』(1912年)で初めてクローズアップを芸術的に使った」と指摘している。 撮影技師のビリー・ビッツァー(英語版)は、1908年から16年間にわたってグリフィス作品で撮影を担当し、彼の右腕として活躍した。『國民の創生』や『イントレランス』を撮ったのもビッツァーである。
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